メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「何故、宗教を信じるのだろう?」

《2019年12月9日付け記事を再録》

パキスタンの物理学者パルヴェーズ・フッドボーイ氏は、2001年に著した「ムスリムと西洋 - 9 月 11 日の後」(学習院大学教授田崎晴明氏訳)という論説の中で、「イスラム教は- キリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教、あるいは他のすべての宗教と同様- 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである」と述べている。

しかし、キリスト教の西欧が科学や経済、軍事力等のあらゆる分野で圧倒的な優越性を築き上げた19世紀以降、他宗教の人たちはどうやってその優越性を信じることができたのだろう?

20年ぐらい前だったと思う。知り合ったばかりのトルコ人に、イスラムの優位性を説きつけられたけれど、それはパキスタンとインドの優劣に基づいていた。

「インドよりパキスタンが発展している(?)のは、イスラムを信仰しているからだ」と言うのである。

そこで私が、「そういう考え方は止めたほうが良いと思う。何故なら、視野を世界に広げて見なさい。発展しているのはキリスト教の国ばかりじゃないか」と揚げ足を取ったら、その人は見るも哀れなくらい狼狽していた。

彼はそれまで、この「インドよりパキスタンが発展している説」に慰められていたのだろうか? 当時は、逆に視野をもっと狭めて、トルコの社会だけを見た場合、エリート層は脱宗教的な政教分離主義者に占められていたので、信心深いムスリムたちは、なんだか肩身の狭い思いをしているように見えた。

私はつまらない揚げ足取りで彼の安堵をぶち壊してしまったかもしれない。

最近は、信心深いエルドアン大統領が16年に亘ってトルコの社会をリードしているお陰で、信心深い彼らも根拠に乏しいパキスタンとインドの例まで持ち出さなくても済むようになったはずだが、相変わらず西欧との力の差は感じていると思う。

そのため、イスラムに愛や平和を求める気持ちが強くなっているような気もする。「キリスト教の西欧は確かに強力だが、善であるのは私たちだ」という優越性ならば信じられる。だから、ISのようなイスラム・テロは絶対に認められない。

しかし、こうして優越性を求めているのは何も宗教に限らないのではないか。トルコの脱宗教的な政教分離主義者の中には、キリスト教の信仰も前近代的であるとして見下す傾向も見られる。

この場合、無神論を主張すれば最高の優越性が得られるかもしれない。「無神論の優越性と無神論を他者に押しつける尊大な権利についての絶対的な信念」というのもあるような気がする。他にも様々なイデオロギーをそこに当て嵌めることができるだろう。

私も「自説を他者に押しつける尊大な権利についての絶対的な信念」で暇さえあれば何か書いて主張している。