メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

キンシャサの奇跡

 《2014年10月31日付け記事の再録(1)》

1974年の10月30日、コンゴキンシャサで挙行されたボクシングのヘビー級タイトルマッチで、モハメド・アリがチャンピオンのジョージ・フォアマンを8回KOに降した。これを、私たちのようなファンは“キンシャサの奇跡”と呼んでいる。
その前年に、フレージャーを2ラウンドの内に6度も転がした“キングストンの惨劇”によりチャンピオンになった若いフォアマンは、“象をも倒す”と言われた破壊力で嘘のように強く、当時、32歳で既に峠を越した選手と見られていたアリが勝てるとは誰も思っていなかった。
この試合を日本では、NETテレビが、午前中11時頃から生中継し、夜のゴールデンタイムにも再放送している。
この日は平日で、中学生だった私は、学校をサボって生中継を観るべきかどうか相当迷ったものの、結局、大人しく学校へ行った。校門をくぐる前にも少し逡巡したけれど、アリの大ファンだった私でさえ、実を言えば、アリがフォアマンに勝てるなんて想像すら出来なかったから、そこまでして“アリの最期”を見届ける必要もないだろうと考え、そのまま校門をくぐったのである。
試合が行なわれている時間は、体育の授業中で、そわそわ落ち着かない気持ちを抑えるにはもってこいだったかもしれない。授業が終る頃になって、誰かが「アリ、勝ったらしいぞ。窓から顔だして叫んでいる奴がいたよ」と言い、半信半疑で教室の方へ戻ろうとして、やはりアリ・ファンの友人がいる他の教室を覗いたら、その同志とも言える友人が「アリ勝った! KO!」と拳を振り上げて叫んでくれたので、『これはもう間違いない』と瞬時に有頂天となった。
学校からの帰り道、友人から詳しく話を聞くと、どうやら彼は授業が早く終ったのを幸いに、視聴覚室へ駆け込み、運よく最後の第8ラウンドを観ることができたそうだ。それから、15分ぐらいの道のりを歩きながら、私は興奮して彼の話に耳を傾けていた。
ゴールデンタイムの再放送は、既に結果を知って観ていた為に、それほど興奮することもなく、その“奇跡”を確認しながら喜びに浸っていたものの、やはりあれは生中継で観るべきだったに違いない。今から思えば、私が生きている間に、もう二度と起こることはない空前絶後の奇跡を見逃してしまったのである。
成人した後、あの試合のビデオが販売されると早速購入して、何度“奇跡の再確認”をしたことだろう。少なくとも30回は観たんじゃないかと思う。
高校同期の友人に、矢沢永吉の大ファンがいて、彼はコンサートのビデオを、矢沢が舞台へ登場するシーンから繰り返し観るので、『コンサートが始まったところから観れば良いじゃん』と呆れていたけれど、私もあの試合のビデオを観る時は、必ずアリがリングに登場するシーンから繰り返し観ている。
その登場の仕方からして実に格好良いのである。その様子には、大試合に臨む緊張といったものが全く感じられず、まるで近所に夕飯でも食いに行くような雰囲気で、すたすたと歩いて登場する。途中、『まあ、ちょっとやってくるよ』ってな感じて、左拳をひょいと突き出すところなどは格好良すぎて堪らない。
リングに登場してからフォアマンが現れるまで、アリは延々とシャドーボクシングを続けていたけれど、NETテレビで実況の解説をした方が、後年、「アリの敗北を予感していた私は、その姿に勝負師の哀愁を感じてしまった」とエッセイに記していたのを読んだ覚えがある。
あの実況では、やはり明らかにアリのファンと思われるアナウンサーの方も、第5ラウンドにアリがロープを背負って打たれ続ける場面で、興奮のあまり「モハメド危なーい! モハメド危なーい!」と絶叫を繰り返していた。
安部譲二の本で読んだ話によれば、相手のジョージ・フォアマンは「負けは認めるけれど、アリが後になって、最初からロープを背負う作戦だったと言ってるのは認められない。あれは矢を放って当たった所に後から的を書いたようなものだ」というように語っていたそうである。
確かに、ビデオを繰り返し観れば解るが、最初の3ラウンド、アリが自分からロープを背負ってフォアマンに打たせようとしたところは殆どなかったのではないだろうか。じりじりロープへ下がりながら必死にクリンチして逃げる場面が多く、フォアマンの攻めが厳しくて直ぐロープに詰まってしまうという感じだった。しかし、4ラウンドは少し微妙かもしれないが、山場となった第5ラウンドでは、明らかにアリが自らロープを背負ってフォアマンに打たせたように見える。
このラウンド、1分を過ぎた辺りから、2分30秒を経過するまで、実に1分半の間、フォアマンはロープを背負ってガードを固めたまま殆ど動かないアリを打ち続けた。実況のアナウンサー氏も思わず絶叫を繰り返したように、結果を知らずにあの場面を見ていたら心臓が縮み上がってしまっただろう。
ところが、あれは明らかに作戦というか、アリも勝負を賭けて、意図的に打たせていたようである。2分40秒過ぎ、フォアマンが打ち疲れて手を休めると、アリは猛然と反撃に転じ、アリの右ストレートが何度も面白いようにフォアマンの顔面をヒット、衝撃に揺れたフォアマンの頭から汗が飛び散り、ゴングが鳴って自コーナーへ帰ろうとするフォアマンはダメージに足をもつれさせた。
フォアマンのダメージと疲労は大きく、この僅か20秒の攻防で勝負は決まってしまったのではないかと思う。勝負師アリの凄さは、続く第6ラウンドで攻勢に出ようとしないで、第8ラウンドの終盤までロープを背負ったりしながら様子を見たところにあるかもしれない。“長篠の合戦”から天目山まで7年待った織田信長のようなと言ったら、喩えが大袈裟すぎて可笑しいだろうか?


George Foreman vs Muhammad Ali - Oct. 30, 1974 - Entire fight - Rounds 1 - 8 & Interview