メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ人のイスラム教徒としてのアイデンティティー

 クリスチャンのアルメニア人であるエティエン・マフチュプヤン氏は、「マイノリティの最も真実的な試験」と題したコラム記事(2014年8月24日付けアクシャム紙)で、自身のようなトルコのマイノリティ(ユダヤ人・キリスト教徒など非イスラム教徒のトルコ国民)が、マジョリティのイスラム教徒を見下すことによって自尊心を保ってきたと述べている。

この言説には、多くのマイノリティとトルコ人の左派知識人が反発したという。「これによって扇動された無知な民衆がマイノリティに危害を加えるだろう」と思ったらしい。
ところで、トルコ人の左派知識人の場合、一応は、自分たちもイスラム教徒に違いないから、マイノリティとは、また異なる複雑な思いがあったような気もする。
左派の脱宗教的な政教分離主義者の中には、自身がイスラム教徒であることを否定して、無信仰や無神論を主張する人もいるが、キリスト教に改宗でもしない限り、西欧人の仲間入りは難しかったのではないだろうか? 西欧の人たちは、「不信心なイスラム教徒」ぐらいに受け止めていたようである。
トルコの社会で、マイノリティのように迫害されたりはしなかったものの、彼らが西欧から非常な圧迫を絶えず感じていて、その為に、信心深いイスラム教徒を見下すような態度を取っていたのだとしたら、一面、マイノリティよりももっと苦しい立場に置かれているかもしれない。
マフチュプヤン氏は、「抑圧され、強制移住され、殺され、財産を奪われ、徐々に少なくなり、無視された人々が、マジョリティに対して何を考えられるだろうか?」と言って、見下して来たイスラム教徒に理解を求めているけれど、一応イスラム教徒の彼らは何と弁明したら良いのだろう?
また、マイノリティにせよ、信心深いイスラム教徒にせよ、自分たちのアイデンティティーに悩んだりすることはなかったと思うが、「イスラムに改宗する前の中央アジアエスニック的なトルコ民族」であるとか、共産主義といったイデオロギーアイデンティティーを求めていた脱宗教的な政教分離主義者は、相当深い悩みを抱えているような気がしてならない。
ソビエトはとっくに崩壊してしまったし、「我々は皆、中央アジアから来たトルコ人である」という無理な論調も通り難くなって来たからだ。
彼らの中から、ルムやアルメニア人に対して、冷淡な態度を取る人が現れて来た背景には、こういった要因が潜んでいるかもしれない。
とはいえ、トルコの人らしい切り替えの早さを見せる人たちもいる。
以前、「私たちは中央アジアから来たトルコ人である」と主張し、無信仰の共産主義者を自称していた友人と、先月、イスタンブールを離れる前に会って話したら、「『トルコ人』というのは、エスニックルーツとは無関係なオスマン帝国イスラム教徒のことだよ」とあっさり認めたので驚いた。
「ありがたいことに、ラズ人もチェルケス人もクルド人も、その殆どがスンニー派イスラム教徒だから、我々は統一性を保つことができる」と言うのである。
もちろん、だからと言って、彼らが熱心なイスラム教徒になるわけじゃない。おそらく、酒は飲む、礼拝はしないという不信心なイスラム教徒のまま、それをアイデンティティーとして認めるだけだろう。(そもそも、礼拝の仕方など全く解っていない不信心者も少なくない)
学問のすすめ」の第15編に、「なお甚だしきは未だ新の信ずべきものを探り得ずして早く既に旧物を放却し、一身あたかも空虚なるが如くにして安心立命の地位を失い・・・」という一節があるけれど、これは日本とトルコの歴史に共通する悩ましい問題だったのではないかと思う。