メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブール・トゥズラの民族事情

今年(2001年)になって、イスタンブールにある工場も本格的に稼動を開始、最近はクズルック村よりこちらにいることの方が多くなった。イスタンブールといっても東の外れのトゥズラというところである。
クズルック村の工場と同様、トゥズラでも従業員には若い女性が多いのだが、そこはなんといってもイスタンブールのことだから、村の娘たちとは違い、鼻にピアスをくっつけている者やら、胸元の大きくはだけたシャツにピチピチのスラックスでお尻をプリプリさせながら歩いているのがいたりして、ストイックに生きる私の苦悩は深まるばかりである。
この辺りの市街地は新しく開けたばかりで、派手なカッコしてイスタンブールの都会っ子らしく振舞っている娘たちも、出身地を訊けば、すごいド田舎である場合がほとんどである。まあ、本人はこっちで生まれているか、うんと幼い頃に移って来たりしているから、それなりに垢抜けてもいるのだろう。
ところで、クズルック村はさながら民族の展示場といった感じであったが、トルコの津々浦々からやって来た人たちの住むこの辺も当然のことながらバラエティーに富んだ民族構成だ。
中でも、クルド人はかなり多いように感じられる。こうなるともうマイノリティーとは言い難いような気がしないでもない。

朝、出勤して来た彼らの一人にそっと近付いて、私が知っている唯一のクルド語で「チュワニバシィ(今日は)」と声を掛けたところ、周りにいた4~5人を呼び寄せて、ワイワイ言いながら皆で私にクルド語を教えようとする。

これにつられてクルドではない人まで寄って来て、「皆集まって何やっているの?」と訊くと、「この人にクルド語を教えてやっているんだよ。君は知ってる?」なんて言う。彼は「いやーそっちの方は全然解からないよ」と苦笑いしていた。
オフィスで私の向こうに座ってパソコン叩いている長身の美女はボスニア人だそうである。
「うちの家族は30年前にボスニアから移住して来たんです」
「君はボスニア語(正しくはセルボ・クロアチア語と言うようだ)が解かるんですか?」
「もちろんです。うちでは皆ボスニア語で話しています」
「ご両親はトルコへ移住して来た時にトルコ語を知っていたの?」
「全然。90才のおばあちゃんは元気でちっともボケていませんが、今でもトルコ語はほとんどできませんよ」
すると、その隣に座っている、これまたスラリと背の高い美女が、
「私の父もボスニア人ですが、母はアルトゥビン(トルコの東の果て、グルジアとの国境近く)の出身なんで、私はボスニア語が解からないんです」
91年、まだトルコへ来たばかりの頃、イズミルで80才の矍鑠とした老人から、「君もトルコ人になりなさい」と言われて驚いたことがある。

老人は60年前に、やはりボスニアからやって来たそうだが、当時トルコ語は全く知らなかったらしい。それで、「我々は皆こうしてトルコ人になったのだ」と言うのである。
これを思い出してボスニア人の彼女らに話していると、横で聞いていたもう一人の美女(しつこいようだが、本当に皆さん美しい)も話に加わって来て、
「うちも父はチェルケズ人でコーカサスから来たの。本当に私たちみたいなトルコ人の方が多いかも知れない。この国は、どこから来た人でも住めるようになっているんです」
「でもそれは、ムスリムであることが条件なんじゃないの?」
「そんなことありませんよ。私たちを見たってムスリムらしいところなんて全然ないでしょ。父はソビエトに居たんです。宗教は全て禁止されていたから、やっぱりイスラムの要素も薄くなっていますよ」
確かに彼女たちの様子を見れば、これには納得。ボスニア辺りのイスラムも随分いい加減であるらしい。
でも、イスラムが吸引力になっていなかったとすれば、彼らはいったい何故、トルコにやって来たのだろうか。いい加減なムスリムとは言え、少なくともキリスト教徒ではない彼らにとって、トルコが一応イスラム圏であるのは無意味なこととも思えない。
他に、アラブ人とかアルバニア人もいて、正しく民族の展示場といった趣きである。郷里がトラブゾンであるという美女(これも本当だ)に、「ラズ人ですか」と訊いたら、チェプニなんていう聞いたこともない民族名が出て来てびっくりした。
「チェプニ語というのがあるんですか?」
ギリシャ語を話していたんだそうです」
これは面白いと思ったのだが、あまり根掘り葉掘り訊くのも変なのでそれぐらいにしておいた。

トルコの人たちがいくら民族についてこだわっていないとはいえ、クルド人等の問題には、なんとも微妙なところがあるので、迂闊なことは話せないのである。
この前も、何人か集まってお茶を飲んでいる時、「マコトはクルド語も少し解かるらしい」なんていう話になったら、クズルック村から来ていた奴が、
「マコトさん、トルコ語には、一番良いクルド人は死んでいるクルド人だ、という諺があるんです。知っていますか?」
と、とんでもないことを言い出す。そこにいた賄いのおばさんはクルド人である。私は内心「ハーリュック、お願いだ妙なことは言わないでくれ」と冷や汗が出た。
ところで、このハーリュックはアブハズ人であり、自分の結婚式の招待状に、わざわざアブハズ語の姓名まで明記させていたくらいである。

それで、「ハーリュック、そんな諺あるわけないだろう。アブハズ人は死んでも良くならない、の間違いじゃないのか」と言ってやった。

しかし、トゥズラの人たちはアブハズ人が何のことかも分からないようだ。これに、気転が利くハーリュックはすかさず、「皆、アブハズ人って知らないでしょう。私のことですよ」と笑いながら説明。おばさんの顔にも笑みがこぼれ、これでなんとか丸く収まった。