メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

因果応報

クズルック村の工場へ視察に訪れた本社の相当な地位にある方と、工場長、製造部長、そしてこの私が、社宅の一室で車座になって飲んだことがある。
飲みながら、本社の方は、「我々は現場の人たちに比べたら、寄生虫みたいなものですから・・・」というように謙遜した。前後の会話までは覚えていないものの、この部分はとても印象に残っている。
多分、財務関連の仕事をされていた方で、大変なエリートだったと思う。工場長も製造部長も私も、皆、高卒だったから、言い方によっては、酷く嫌味に聴こえてもおかしくないが、その方の真摯な語り口がそう感じさせなかった。
しかし、現場の生産をサポートする財務の責任者の方が“寄生虫”であれば、現場の「通じない通訳」で食べさせてもらっていた私は、いったい何と形容出来るのだろう? 寄生虫の中でも最下等の“ごくつぶし”と言えるかもしれない。
「現場が原点」をモットーとするこの企業では、生産に携わる現場の人たちがあくまでも主役だった。
主役が作り出す製品を、営業は高く売らないと恨まれる、顧客からは「値を下げろ」と迫られる。これまた相当タフでなければ務まりそうもない。通訳の“ごくつぶし”は呑気で良かった。

クズルック村工場の楽しい思い出は、ここにも沢山書いて来たけれど、もちろん、いつも呑気な日常が繰り返されていたわけじゃない。部署間の対立ばかりでなく、日本人出向者とトルコ人の間に深刻な葛藤が生じることもあった。
そういった場面で、私はトルコ人の中に入って、一緒に文句を並べたりしていた。ごくつぶしの寄生虫はコウモリ的な一面も備えていたらしい。
ところが、あれから10年以上過ぎて、トルコ人の元同僚たちに会ってみると、日本人出向者への不満を口にする者など殆どいない。皆、闘いながら、対立と葛藤を乗り越え、生産の現場を支えて来たのだろう。
闘わないどっちつかずのコウモリは、そのうち何処からも相手にされなくなってしまいそうだ。
実際、トルコでの生活はどんどん厳しくなっている。生活費を抑えるのも限界に来ていて、これ以上切り詰めるのは難しい。
今までは、底へ着きそうになると、何処からともなく救世主が現れたりしたものだが、いよいよ底にぶち当たる時が近づいているような気がする。まあ、因果応報ということかもしれない。 

 *写真:
8月31日のグランドバザール。往来しているのは殆どトルコの人たちばかりで、外国人観光客の姿は本当に少ない。
グランドバザールでトルコの人が利用するのは、金相場のレートが良い貴金属商と周辺の外貨両替商ぐらいである。
そのため、賑わっているのは入り口の辺りに限られ、中へ入ると信じられないくらい空いていた。私もこの日は外貨両替商に寄っただけである。

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