この印刷工場の輪転機は、2008年に韓国製を導入するまで全て日本製だった。私は、その内の1機を施工した日本企業の人たちとも一緒に働く機会を得たけれど、あれも実に素晴らしい思い出として蘇って来る。
その企業には「社長」も「部長」もいなかったらしい。技術者たちが集まって企業したため、「社長」といった役職は、いずれも輪番制になっていたそうだ。技術者の方たちは、皆、叩き上げの職人といった感じで、一緒に現場で働いていると、とにかく機械を作る仕事が好きで堪らないという気持ちが伝わって来るようだった。
施工がそろそろ仕上げに近づいた頃、輪番制の製造部長で責任者として来ていた方が、嬉しそうな表情で私を呼びよせ、「お客さんにこれを見せて伝えて下さい」と言う。「以前の機械は、タッチパネルが日本語だけで非常に不評だったので、今度はこのように英語も併記しました。お客さんも喜ばれるでしょう。トルコ語が解ればもっと良かったのですが・・・」。
それで、早速、現場リーダーの若いトルコ人エンジニアに伝えたところ、彼はいくつかのタッチパネルをチェックした後で不機嫌そうに、「あの日本人は、いったい何なんだ? エンジニアなのか? それともテクニシャンなのか?」と問うたのである。
トルコ語でエンジニアは「ミュヘンディス」と言い、「ミュヘンディス」になるためには少なくとも大学を卒業していなければならない。その印刷工場では、なにしろオーナー社長が自ら作業ユニフォームを着て現場に出ているので、エンジニアの彼らもそれに倣っているが、機械に触って手を汚すようなことは余りしたがらなかった。そういった仕事をするのは工業高校などを出て来た人たちで、「テクニシャン」と呼ばれていた。
エンジニアの彼が不機嫌になって「テクニシャンなのか?」と訊いたのは、どうやらタッチパネルに併記された英語にいくつもスペルのミスがあるためだった。学卒のエンジニアであれば、当然、英語が解っていなければならないらしい。
彼にしてみれば、エンジニアの仕事に、下手なトルコ語を話す通訳がついて来ることさえ不愉快に思えただろう。しかし、彼らの英語もそれほど上手いものであるようには思えなかった。あの工場で英語が完璧に解っていたのは社長だけだったかもしれない。
例えば、他のトルコ企業へ通訳で駆り出された際、会議に出席した学卒トルコ人らが「私たちは皆英語が解るから、宜しかったら英語でどうぞ」と言うので、英語に堪能な日本人が英語で説明すると、2~3人が何か質問するだけで、会議は静かに進行するものの、下手でも私がトルコ語に通訳したら、多くの出席者が質問や自分の見解を述べたりして大変賑やかになった。
英語はもちろん、トルコ語もスペイン語も話せる韓国人の友人は、「韓国人とトルコ人が英語で仕事するのは止めた方が良い。どちらも見栄っ張りで『解らない』の一言が言えないため、とんでもない方向に流れてしまうことがある」と話していた。
さて、輪転機の施工だが、組み立てが完了してテスト運転を試みたところ、印刷用紙ロールの切り替えも巧く行って上々の仕上がりだった。輪転機は、第1ロールの印刷用紙を送りきって、第2ロールへ切り替える際、一々運転を止めていたら仕事にならない。第2ロールの端には両面テープが貼り付けられていて、速度を落とさないまま、双方のロールがカットされると同時に、第2ロールは第1ロールの最後尾に貼り付き、途切れることなく運転が継続するのである。
この切り替えがドンピシャで巧く行くと、日本人技術者たちは「よっしゃー!」みたいなことを叫び、まるで子供のように喜んでいた。もう根っからの機械好きらしい。
ところが、テスト運転を続けたら、2回目からは切り替えが全て失敗して、ロールが途中で切れてしまったのである。技術者たちは設定を変えて試行錯誤を繰り返したが、どうしても巧く行かない。あのトルコ人エンジニアは、「日本人たちは何を悩んでいるのか? あれはカッターのスピードが合っていないためだ。それを調整すれば済む」と言い、早く伝えるようにと私を突っついた。しかし、日本人技術者は、「カッターが原因じゃないことは確かです。今調べていますから、お客さんにはもう少しお待ち頂けるよう伝えて下さい」と渋い表情で答えるだけだった。
その後、要点が『何故、1回目のテストは巧く行ったのか?』という所に絞られてくると、突然、技術者の1人が頓狂な声を上げた。「あっ、そうだ! 1回目の時だけは、うちが持って来た両面テープを使ったんだ!」
それで、2回目から使用したトルコ製の両面テープを調べたところ、つまり粘着力の度数が低かったのである。結局、一定以上の粘着力がある両面テープを使えば、問題なく切り替えも巧く行くことが明らかになって一件落着した。
日本人技術者とトルコ人の職工らが集まり、「なんだ、これが原因かあ」と安堵の笑いが広がる中、私は例のトルコ人エンジニアを探していた。笑いの輪の中に彼はいなかったからである。そして、視線を遠くに外してみて、ようやく、現場を足早に去って行く彼の後ろ姿を確認することができた。