メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

高卒育成プラン

トルコは、産業化が急速に進んだと言っても、これといった自前の技術があるわけじゃない。その多くは、外国企業の下請け生産である。
日本の場合、今でも、技術革新を担うエンジニアたちは、昼に夜におにぎりやサンドイッチを齧りながら研究を続けているのだろうけれど、トルコのそのクラスの人たちが、そこまでやってくれているようには、何となく思えない。 
15年前、クズルック村の工場で、村から働きに来ている現場労働者の人たちは、深夜に及ぶ残業も厭わなかったのに、大卒エンジニアの多くは、さっさと定時に帰っていた。
そのため、工場長が、「生意気で給与も破格に高い大卒ではなく、優秀な高卒を採用して社内で育てる」というプランを考えて、これを管理職会議の議題にかけたことがある。
ところが、会議に出席している日本人は、工場長、製造部長、そして通訳の私で、いずれも高卒だったが、トルコ人の管理職は全員大卒であり、口々に「高卒なんて使い物にならない」と主張した。
これを聞いた工場長が、苦笑いしながら私の方を振り向き、「これは通訳せんでも良いけれど、こいつら俺たちのことを馬鹿にしとるのか?」と言ったら、日本語の少し解る人が皆に伝えてしまい、彼らは「日本とトルコでは高卒のレベルが違う」と弁明に躍起となっていた。
しかし、私が言うのも何だけれど、日本では、工場長や製造部長の世代ならいざ知らず、私の世代になると、経済的な事情等から大学進学を諦めたという人は、もうそれほどいなかったと思う。私のような“単なる変わった奴”が占める割合も多くなっていただろう。こういう“変わった奴”は、確かに役立たずである場合が少なくないかもしれない。
トルコの状況は異なる。当時、経済的な事情等から進学を諦めた“優秀な高卒”は、未だいくらでもいたのではないか。今でもかなりいるような気がする。それを「使い物にならない。レベルが違う」で切り捨てようとしていた。
こういうエリート意識の所為なのか、大卒のエンジニアは余り現場に出たがらなかった。工場長が「高卒育成プラン」を考えた背景にはこれがある。工場のスローガンは「現場が原点」だったのである。
もちろん、今日のトルコでは、意識も大分変わってきたと思う。いつだったか、通訳に駆り出された現場で、30代半ばの大卒エンジニアが部材の運搬作業を手伝っていたのに驚かされた。訊くと、日本の企業のもとで働いていた時に、そう教えられたのだという。
彼は、作業者の人たちを信頼し、「ここの作業者は、皆頑張ってくれますから心配しないで下さい」と胸を張っていた。実際、クズルック村でもそうだったが、トルコの一般労働者の人たちは、意気に感じてくれた場合、それこそ素晴らしい底力を発揮する。
これで、技術開発などに携わるエンジニアたちも、必死になって底力を発揮してくれれば、トルコの産業界は、飛躍的に発展するんじゃないかと思う。
あるジャーナリストは、さらに上を目指して、「基礎科学の重視」を説いていた。一気にノーベル賞でも取ってしまおうというのだろうか?
しかし、このジャーナリストの方が、いつだったか猛暑の夏に、「暑くてやっていられないから、新聞社も1ヵ月休みにしよう」なんて冗談とも言えないような調子で書いていたので、がっかりしてしまった。もっと必死にならないと、ノーベル賞どころか、ちょっとした技術開発も難しいのではないか。
数年前、ノーベル化学賞を受賞した下村氏は、米国で研究を続けながら、毎日のように近くの海岸に出かけて、実験材料のクラゲを自ら捕獲してきたそうだ。
「何故、トルコ人ノーベル賞を取れないのだ」と嘆いていた友人に、この話を持ち出して、「トルコ人の学者は、自分でクラゲ取って来たりしないよね?」と訊いたら、「そうだな、部下にやらせるだろうな」と苦笑いしていた。
よく解らないが、多分、アメリカには、そうやって自らクラゲを捕獲して来るような研究者が他にもいるのだろう。そのぐらい誰もが必死になっているから、例年のようにノーベル賞を受賞しているのかもしれない。
そういう一見無駄に見える地道な労力は、結構重要なことじゃないかと思うけれど、「クラゲは自分で獲って来ても、誰かに獲って来させても同じクラゲでしょ?」なんて屁理屈こねる人が、トルコには多いような気もする。