メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

何処にでも話上手が多いトルコ/政治家にも口下手が多い日本

20年前、クズルック村の工場のオフィスでは、朝礼の際、当番制で学卒のトルコ人社員らに3分間のスピーチを課していた。工場長によると、これは日本での慣例をそのままトルコに持ち込んだ試みであるという。日本の人たちの多くは、人前で話したり意見を述べたりするのが苦手なため、それを少しでも克服しようという狙いがあったらしい。

ところが、トルコ人社員の中には、3分間どころか5分ぐらいの間、朗々と話し続けて朝礼の時間を超過してしまう者まで現れた。そもそも、人前で話すのが苦手なトルコの人など却って珍しいくらいだろう。

1999年のトルコ西部大地震の後、日本から提供された仮設住宅の様子を動画で取材するために来た記者の方を案内したところ、カメラを向けられた初老の女性が、身振り手振りを交えて堂々とした「スピーチ」をこなしたので、記者の方は「このおばさん取材慣れしているんじゃないの?」と呆れ返っていた。

しかし、私から見れば、その女性は特に話し上手な方でもなかったように思えた。トルコの人たちは全般的にスピーチが巧い。それが仕事の一部になっている政治家などは、実に見事な名調子で聴衆の喝采を浴びたりする。エルドアン大統領も演説の名手と言われて来た。

とはいえ、トルコに限らず、何処の国でも政治家は演説が巧いようだ。政治家にも口下手が多い日本は珍しい存在ではないだろうか?

ところで、米国ではオバマ前大統領の演説も有名だったけれど、故レーガン大統領の場合は、演説の巧みさに「俳優の経歴」が役立っていたような気がする。

エルドアン大統領も、強面の映画俳優カディル・イナヌル氏と懇談した際、イナヌル氏から強硬な態度で演説する姿勢を咎められ、「いつも、こうやって穏やかに話せば良いのに・・」と意見されたら、「貴方も映画では、“カディル・イナヌル”を演じているじゃないか」と応じたという。「演説」とは、やはり「演技のあるスピーチ」なのかもしれない。