メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン首相の評判

日本では、一般的な傾向として、亡くなった人を余り悪く言ったりしないが、これはトルコでも同様だろう。著名人が亡くなると、大新聞は一斉に追悼記事を載せたりする。それまで厳しく非難していても、この時ばかりは、お悔やみを述べて、穏やかな調子になる。亡くなった方には、メルフム(神に召された)といった敬称がつく。
大分前に亡くなって、既に歴史上の人物になっている場合も、功罪は論じるけれど、一方的に“悪い人”という扱いは、なるべく避けているように思う。屍に鞭打つようなことは余りしない。
しかし、生きている人に対しては、容赦ない非難を浴びせたりする。エルドアン首相もかなり手厳しくやられている。中には、殆ど誹謗・中傷としか思えない内容も多いが、確かに頷ける批判も少なくない。
「敬虔な青少年を育てる」といったエルドアン首相の発言は、私も批判したくなる。最近、少し良くなったが、以前は、異端と言われるアレヴィー派に対する発言も酷かった。
酷い発言は選挙が近づくと、特に増えるような気がする。ある程度は選挙用なのかもしれない。
6月の“ゲズィ公園騒動”の際、市民を代表してエルドアン首相と対話した俳優のカディル・イナヌル氏が、「いつも、こうやって穏やかに話せば良いのに・・」と進言したところ、エルドアン首相は、「貴方も映画では、“カディル・イナヌル”を演じているじゃないか」と応じたそうだ。イナヌル氏には強面役のイメージがある。
実際、“強硬なエルドアン首相”を期待している人々も多いから、難しいところなんだろう。
“ゲズィ公園騒動”で、エルドアン首相は、アーティストなどを含む市民たちと2日続けて会合を持った。いずれも、他の日程が終了した夜の10時ぐらいになってから始まり、4~5時間続いたという。エルドアン首相は、もう59歳になるが実にタフだ。
この会合の2日目の方だったか、参席した女性アーティストの一人は、記者の問いに答えて、エルドアン首相が彼女たちを罵倒して会議は紛糾し、その後、娘のスメイエさんが会議室に入ってきて、父親を連れて出て行ってしまったと証言している。
しかし、同じ会合に参席した別のアーティストによれば、会議が平行線のまま長時間に及んだ後、エルドアン首相は、「もうここで(首相府)15時間になる。容赦を・・」と言って立ち上がり、会議は終了したそうである。
これでは、アーティストのいずれかが事実と異なる証言をしたことになる。どちらが事実に近いのか解らないが、昨年の7月にエルドアン首相と会談したクルド運動のレイラ・ザナ女史は、会談後、「首相はとても辛抱強く私の話を聞いてくれた」と語っていた。
とにかく、エルドアン首相に関しては毀誉褒貶が激しい。
AKPは2001年に結党して、翌2002年は政権に就いているのだから、政治資金の面など、突っ込みどころは満載なのだろう。とはいえ、独裁者というのは、言い過ぎだと思う。トルコは曲がりなりにも法治国家で、法はそれなりに機能している。独裁などは許されていない。
歴代の首相と同様、権威主義的な雰囲気はあるけれど、これも時代の流れの中で少しずつ変わって来ている。エルドアン首相自身が変えようと努めているところも覗える。
例えば、トルコでは、目上の人に挨拶する際、深く頭を下げて、相手の手を取り、甲にキスをしてから自分の額に持って行く儀礼がある。田舎の年寄りの女性などは、相手が若ければ、外国人であっても、最初から手の甲を上にして差し出してくる。でも、この方が良い。
困るのは、『この若いの外人だが、どうしようか?』と躊躇い、握手のような中途半端な形で手を出された時だ。こちらも、手を取ってキスしたら良いのか、握手で済ますべきなのか迷ってしまう。
エルドアン首相は、必ず握手にして、この儀礼を拒んでいる。エジェビット首相も、晩年はこの儀礼を避けていたが、それ以前の歴代首相らは、大概、鷹揚に手の甲を上にして差し出していた。
エルドアン首相のエミネ夫人などは、かなり徹底していて、相手が頭を下げながら、手を取ろうとすると、パッと手を引っ込め、相手の頭を上げさせてから、握手に応じている。
日本でも、一部のメディアから、「独裁色を強めるエルドアン首相」なんて報道された所為か、中には勘違いして、旧ソ諸国の独裁者たちと同様にイメージした人たちもいるようだ。トルコはああいう非民主的な国々とは全く違う。一緒にされても困る。
親族に関するネポティズムでも、エルドアン首相は、歴代に比べて、それほど酷いわけじゃないだろう。清廉潔白居士で、子供もいなかったエジェビット首相は別格として・・・。
余談だが、かつてトルコには、子供のいない政治家が多かったらしい。エジェビット氏のライバルであるスレイマン・デミレル氏にも子供はいなかった。91年にイズミル学生寮で同部屋だった友人によれば、トルコで偉大な統治者を目指す者は、国父アタテュルクに倣って、子供を作らないそうだ。「オザル大統領には子供が何人もいるよ」と反論したら、「オザルは、もともと政治家志望じゃなかったからね。クーデターがなければ、官僚で終わったはずだよ」と笑っていた。
エルドアン首相には、二男二女があり、次女のスメイエさんには政界入りの噂が絶えないものの、今のところ、長男次男にそういった話は出ていないようである。
長男は、98年に、自分の運転する車で人身事故を起こし、歩行者だった相手の女性を死亡させたことが知られている。相手が信号無視していたとされて無罪になったそうだけれど、これに異議を唱える記事が、今でもネットに出回っている。曰く、権力を使って司法に介入した・・・。
しかし、当時のエルドアン氏は、イスタンブール市長に過ぎず、その翌年には、エルドアン氏本人が、司法によって刑務所に叩き込まれた。息子の交通事故で、当時、敵対していた司法に介入する力が果たしてあったのか?
数年前、エルドアン嫌いの友人に、この件を訊いてみたところ、「エルドアンに限らないさ。今までに起きた、市長ぐらいの地位にいる奴の身内の不祥事を調べてみなよ。皆、無罪放免になっているぜ」と答えていたが、今だったら、何と言うだろう? この友人も、最近、とてもラディカルになっている。
昨年だったか、彼が「エルドアンは、なんであんなに警護が厳重なんだ。いつも護衛をたくさん連れて歩きやがって・・・」と詰るので、「でも、2007年までは、いつ暗殺されても不思議でない状況が続いたから、当然の警護じゃないのか?」と言い返したら、「2007年まで? それは違うな。今でもだよ。いつ殺されたっておかしくない」なんて恐ろしい話をしていた。
次男のビラル氏は、この前、マルマライのシルケジ駅のオープンを伝えるニュースで、駅構内を歩いているところがカメラに捉えられていた。マイクを向けられると、「勘弁して下さい。子供と出掛けているだけですから・・・」と照れ臭そうにインタビューを断り、逃げるように立ち去った。
2005年、マルマライの工事現場で、私と一緒に働いていたムスタファという青年は、このビラル氏と小学校の同級生だったそうだ。「向こうは今や首相の息子でアメリカに留学中、俺はしがない作業員、まあ、これが運命というものかもしれないね」などとぼやいていた。
実際、ムスタファ青年は、しがない土方の作業員に過ぎなかったから、この話も俄かには信じられず、彼に説明を求めると、「だってあの頃は、ターイプさんも未だイスタンブール市長になる前の話で、党の役職についていただけだから、家族でカスムパシャの普通の家に住んでいて、子供たちも近くの学校に通っていたんだ。どんな子だったかって? 余り良く覚えていないけれど、なかなか良い奴だったという記憶がある。向こうは俺のことなんかもう覚えていないんじゃないかな」と思い出を語っていた。
今でも、ビラル氏は、その謙虚な人柄で評判が結構良いらしい。米国留学当時も、反エルドアンの左派ジャーナリストから取材を受けていたが、そのジャーナリストは、「こんな好青年が、何故、あの父親に反対しないのか?」といったような感想を記していた。
そういう好青年を育てたのは、いったい誰だったのだろう? このジャーナリストは、国家が子供を育てたとでも思っていたのかもしれない。まあ、エルドアン首相も「敬虔な青少年を育てる」なんて宣言しているから、どっちもどっちか・・・。
韓国もそうだけれど、トルコのような社会で、首相や大統領になった人の子弟が、好青年のまま、垢にまみれず人生を渡って行くのは、至難の業であるような気がする。本人や両親が、いくら気を引き締めていても、へつらい媚を売る連中が寄ってたかって群がって来るに違いない。今後も、ビラル氏が思わぬ不正事件などに巻き込まれないよう祈りたい。