メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

リーダーの条件?

安倍首相が辞任を表明して、後継者争いが取り沙汰される中、「(人脈のために)飲み食いの多い政治家は人気がある」なんて話がSNSで話題になっている。これに私は、朴正熙大統領の逸話をまた思い出してしまった。

1997~8年頃、「朝鮮日報」に連載されていた趙甲済氏の「내 무덤에 침을 뱉어라(俺の墓に唾を吐け)」に出て来る、以下のような逸話である。

解放独立後、韓国軍に入隊した朴正熙氏は、実兄が共産主義者であったために自身も疑いを掛けられ、拘束されて過酷な拷問を受ける。心配した同僚軍人が様子を見に行くと、朴正熙氏は強がる素振りもみせず、同僚に「助けてくれ」と懇願する。その率直な態度に、同僚は思わず「お助け申し上げましょう」と答えてしまい、方々に手を回して、何とか免職だけで済むように計らったうえ、その後の生活費として、かなりの金額を朴正熙氏に与えたという。

ところが、朴正熙氏はその金の多くの部分を陸士8期生の後輩らとの飲み食いに使ってしまったそうだ。そのうえ、後輩らの前でへべれけになるまで飲み、泣き言を繰り返して後輩に抱き着いたりしたらしい。しかし、1961年5月、朴正熙少将が仕掛けた一か八かのクーデターに、この後輩たちが命を懸けて従ってくれたのである・・・。

どうやら、、完全無欠な人よりも、一緒に飲み食いして弱みも晒してしまうような人の方が、仲間の共感を得やすいということなのかもしれない。

そもそも、完全無欠な人などいるわけがないし、それに近い人がいたとしても、煙たがられて仲間内で孤立してしまいそうな気もする。

1人で出来るアスリートや芸術家ならともかく、様々な人たちと共に仕事を進めて行かなければならない政治家や事業家の場合、弱みもあったりして人間的な魅力のある人の方が巧く行くのではないだろうか。

例えば、ソフトバンク孫正義氏を、私は長い間「緻密で冷静な事業家」と思っていたけれど、最近、ツイッターなどの発言を見たりすると、『えっ、この人大丈夫なの?』と心配になってしまうほど、そそっかしい所も多いような気がしてくる。それなのに事業家として成功できたのは、その豊かな創造性と情熱的な人柄にほだされた人たちが『孫正義を男にせねばならぬ』とブレーンに加わってきたためであるかもしれない。

また、自らの主義・思想に忠実で確固たる信念を持った指導者などと言うのは、多くの場合、我々一般市民にとっては非常な迷惑だったりした。現在では、韓国の文在寅大統領や中国の習近平主席が、それに近いのではないかと思えてしまう。

今の時代、独断専行の革命型といった政治家より、調整力のある現実的な政治家の方が安心できるのではないか。

意外に思われるかもしれないが、トルコのエルドアン大統領も明らかに後者であるような気がする。先月、カラル紙のインタビューに応じたジャーナリストのフェフミ・コル氏は、「アヤソフィア・モスクの復活も、故オザル大統領であれば、もっと早く実現していたはずだ。エルドアン大統領は余りにも慎重だった」というように述べていた。

エルドアン大統領の功績の殆どは、故オザル大統領がその礎を築いたものだ」と言う人もいる。確かに、オザル大統領の方が遥かに革命的だったと言えそうだ。しかし、独断専行とも言える性急なやり方で、その死後に社会的な混乱を招いてしまったというのも事実だろう。

トルコにいた頃だから、3~4年前だと思うが、あるトルコの識者は、「エルドアンとアタテュルクに共通しているのは、恐れずにぎりぎりまで試してみるが、無理だと解れば速やかに引く所である」などと分析していた。

恐れていたら何もできないが、引かずに突っ走ってしまえば、エンヴェル・パシャになってしまう。そんなところかもしれないが、私のような部外者が見たら、エンヴェル・パシャの方が、アタテュルクよりも遥かに英雄的だったような気がする。オザル大統領もそうだろう。しかし、同時代の国民にとって、英雄なんて余り必要ではなかったに違いない。