メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

学歴で守られていたトルコのエンジニア?

エンジニアを「技師・技術者」と訳した場合、日本では、この「技師・技術者」という言葉を学歴によって分類することはないと思う。

しかし、フランス語で「アンジュニアル(エンジニア)」と言った場合、トルコと同じように「大学卒」が条件になっているそうだ。こちらは「工学者」といった意味合いになるのだろうか? 米国英語の「エンジニア」には、日本語の「技師・技術者」に少し近いイメージもあるという。(「メルハバ通信」をホームページで立ち上げたばかりの2005年頃、掲示板にわざわざ書き込んで教えて下さった方がいた)

西欧化、近代化の過程で、トルコはフランスの影響を強く受け、日本のそれは米国だったという背景が、そこにはあるかもしれない。例えば、トルコでは、大学の芸術学部を「コンセルバトゥワール」と呼んだりして、俳優や民謡歌手にまで「コンセルバトゥワール」の出身であることを求めたりする。

しかし、企業が人材確保のために学歴を重視するのは当然かもしれないが、芸術の分野で余り学歴に拘りすぎたら、革新的な創造は生まれ難くなってしまうのではないか。

「コンセルバトゥワール」の本家フランスは、ストリート・シンガーだったエディット・ピアフを見出し、その芸術性を称賛してやまなかった。イヴ・モンタンもミレーユ・マチューも芸術学部の教育など受けたわけではなかった。(もちろん、クラシックの歌手はその限りではないと思うが・・・)

日本では、かつての映画会社で最も高学歴者がそろっていたのは、学卒採用制度を取っていた日活だったらしい。ロマンポルノ「団地妻・昼下がりの情事」の西村昭五郎監督は京大仏文科、「八月はエロスの匂い」の藤田敏八監督は東大仏文科。

巨匠と称えられる黒澤明小津安二郎成瀬巳喜男溝口健二の中で、大学を卒業しているのは一人もいない。

2013年12月、トルコの問題点を財界人のジャン・パケル氏は以下のように指摘していたけれど、この「守られて来た人たち」の中には「学卒者」も含まれていたような気がする。

「・・・共和国発足当時、トルコ人の殆どは農民だったため、共和国の創業者らは、仕事が出来る西欧志向型の階層を作り出す必要があった。そして、創造された“白いトルコ人”を85年近くに亘って守ってきた。関税により、また彼らが製造した粗悪品を国家が買い上げ、競合相手を妨害することにより守ってきた。」

こうして、競争を妨げたことが「不勉強なエンジニア」等々を安堵させていただろう。競争の激しくなった現在のトルコでは、エンジニアの質も飛躍的に向上しているのではないかと思う。