メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

今でも「白い東洋人」?

《2014年1月16日付けの記事を修正、加筆して再録》

「白いトルコ人」という言い方がいつ頃から使われているのか良く解らない。一説によると、アメリカの「wasp」から連想された造語らしい。

西欧型のライフスタイルを身につけたハイソサエティトルコ人という意味で使われていて、もちろん色の白さとは何の関係もない。
典型的な“白いトルコ人”とされるアフメット・アルタン氏はかなり色黒であるし、“白いトルコ人”に対して「自分たちはまるで“黒人”のようだった」と発言して物議を醸したエルドアン首相(当時)はかなり色白である。

上記の駄文でお伝えしたジャン・パケル氏の発言では、“白いトルコ人”が以下のように説明されていた。
「・・・共和国発足当時、トルコ人の殆どは農民だったため、共和国の創業者らは、仕事が出来る西欧志向型の階層を作り出す必要があった。そして、創造された“白いトルコ人”を85年近くに亘って守ってきた。関税により、また彼らが製造した粗悪品を国家が買い上げ、競合相手を妨害することにより守ってきた。
これが、80年代、オザル政権の誕生によって揺らぎ始め、国家の庇護に依らず自力で勃興した中産階級が姿を現し始める。この新しい中産階級が支持して政権に押し上げたのがAKP(エルドアン政権)であり、“白いトルコ人”は、彼らにその座を奪われつつある・・・・。」

ふと思ったけれど、この「白いトルコ人」を「白い東洋人」という言葉に置き換えてみたらどうなるだろう? 

それは、ひょっとして我々日本人じゃないかと思ってぞっとした。“共和国の創業者”はアメリカであり、新興中産階級はもちろん中国である。

ジャン・パケル氏はあの番組で、「今、社会の大多数を占める民衆は、自分たちが政権に就いていると感じている。まあ、これがもう一方の側、つまり我々“白いトルコ人”ですな、これを不愉快にさせているんですよ」と言いながら、さもおかしそうに声を立てて笑っていた。パケル氏は、おそらく“白いトルコ人”を作り出した側の人だから、こうして笑っていられたのだろう。
アメリカも東洋の展開を、そうやって笑って見ていたような気がする。もちろん、パケル氏の場合は、トルコ全体の安定と発展を願いながら発言していたのだが・・・

2013年、如何にも“白いトルコ人”なCHPの女性議員が、議会で演説していた。「・・・少数派が多数派を抑圧しても長くは続かない。実際、続かなかった。しかし、多数派が少数派を抑圧しようとすれば、それはずっと続いてしまう。どうか仕返しに抑圧するのではなく、公正な民主主義を実現してもらいたい・・・」といった内容だった。

まず、「抑圧していました」と軽く認めている。それなら「申し訳ありませんでした」と謝罪するのが先じゃないかと思うが、その必要は感じていなかったらしい。相変わらず、上から目線で見ているような気がした。自分たちのステータスは、まだ通用すると思っていたのかもしれない。
でも、AKPはどうだか知らないけれど、心優しきトルコの人々に「仕返しに抑圧してやれ」なんて発想はないから、その点は心配しなくても良かったではないかと思う。
以下の話でお伝えしたように、ムッとするような発言を聞いても黙って我慢し、「いやあ、親族の年長者に対する敬意と言うものがあるでしょ」と受け流してくれる人たちなのだ。

当時、各々の経済的な立場は、既に逆転していたから、「うるさい黙れ!」と強気に出ても構わないところだが、信仰に篤い彼らは“年長者への敬意”を忘れていなかった。
ところで、“白い東洋人”はそうやって安心していられるだろうか? 私たちの隣人は、これほどまでに心優しいだろうか?
1月12日(2014年)のサバー紙のコラムに、シュクル・ハニオウル氏は、「西欧化の問題はどのように終わったか?」と題して、また非常に興味深い記事を書いていた。
共和国は、オスマン帝国の西欧化よりさらに幅の狭い、宗教や伝統も時代遅れと看做す、唯一の西欧型モダニズムを目標とした。ところが、今や世界中が様々に異なる形で西欧化しつつある。モダニズムは既に複数のモダニズムとなり、その内のどのモダニズムのメンバーになっているかによって、ステータスを得られるわけではない。等々・・・・
「白いトルコ人」や「白い東洋人」も既にステータスではなくなっている。これを当たり前に理解しておかないと、社会あるいは国際社会の中で、正常な関係を作るのは難しくなるということかもしれない。

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この記事の元を掲載した2014年、米国と中国の力には未だ相当な差があるように思われていた。

そのため、「アメリカも東洋の展開を、そうやって笑って見ているような気がする。」なんて書いたけれど、現在、米国は東洋の展開を笑ってみていないだろう。

中国は既に「新興中産階級」ではなく、米国という支配階級を脅かす存在になっている。

世界はこの10年の間にも大きく変わってきたのではないかと思うが、日本には未だ「白い東洋人」的な気分でいる人たちが少なくないかもしれない。

以下の「親日VS反日」という駄文も元記事を書いたのは2013年のことだけれど、こういった雰囲気は今でも続いているような気がする。

一方の韓国は大きく変わったのではないだろうか?

何だか日本だけが世界の片隅に取り残されて行くように思われてならない。

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