メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領とポピュリズム

トルコでは、インテリや芸術家といった人たちの多くが、エルドアン大統領を激しく嫌っている。しかし、エルドアン大統領は、大衆的な人気に支えられて、選挙を勝ち続けて来た。
この大衆は、「イスラム的な保守層」と一括りにされたりしているけれど、信仰の度合いはまちまちで、当たり前に酒を飲む支持者も少なくない。
例えば、「アラベスク」と呼ばれる大衆歌謡の担い手の多くは、エルドアン大統領を支持しているようだが、彼らは、ナイトクラブのような所で歌って、聴衆と共に酒を飲んだりもする。聴衆の中にもエルドアン大統領の支持者は多いだろう。
アラベスク」は、長い間、政教分離主義的なインテリから、低俗な大衆芸能であると蔑まれて来たため、これに対する反発が、エルドアン大統領の支持に繋がっている可能性もあるかもしれない。
アラベスク」ではなく、一応芸術歌謡というジャンルに分類されているが、大衆芸能的な雰囲気を感じさせる歌手のビュレント・エルソイ氏も、エルドアン大統領の支持者として有名である。
エルソイ氏は歌唱力に優れ、トルコでは“ディーヴァ”と呼ばれるほど評価も高い。しかし、“ビュレント”は歴とした男の名であり、1970年代のデビュー当時は、普通にスーツを着て、男性歌手として舞台に立っていたそうである。その後、女装して歌うようになって、同性愛者であることが明らかにされ、1981年にはロンドンで性転換手術を受けたという。
トルコ語ウィキペディアの記述によれば、1988年までトルコでは、この性転換が認められず、1983年には最高裁判所で、「法律上、男性であるから、男の服を着て舞台に立たなければならない」という判決が下されたらしい。
1988年に、性転換を認める法改正に尽力したのは、当時のオザル首相だったと言われているが、イスラム復興の道を切り開いたとされる保守派のオザル首相は、エルドアン大統領の政治的な師の一人に数えられている。
 エルソイ氏は、エルドアン大統領を支持しているために、リベラルなインテリから非難されることもある。これに対して、保守派の識者は、「リベラルがどうやってエルソイ氏を非難できるのだ。トルコで同性愛者の権利を守るために、体を張って闘って来たのはエルソイ氏じゃないか!」と反論していた。
それはともかく、エルドアン大統領は、なんと言っても根強い大衆的な人気によって支えられてきたため、トルコでも「ポピュリズム」云々という議論が起きている。
しかし、エルドアン大統領を支持しているのは、大衆やイスラム的な人たちばかりではない。「エルドアンはトルコのチャンス」とまで持ち上げて、以前からエルドアン氏への強い支持を表明してきたアレヴ・アラトゥル氏(女性)のような知識人もいる。

1944年生まれのアラトゥル氏は、高校生の頃、軍の高官だった父親が、在東京のトルコ大使館に駐在武官で赴任していたため、目黒アメリカン・ハイスクールを卒業したという。
西欧の文化・経済についての見識の高さはもちろん、軍の高官という家柄も申し分なく、そんじょそこらのインテリでは太刀打ちできないレベルのインテリと言って良いかもしれない。
他にも、早くからエルドアン氏への支持を表明してきた故メフメット・アリ・ビランド氏やメフメット・バルラス氏も、元来はアタテュルク主義の大御所的なジャーナリストだった。家柄も良く、共和国の数少ないエスタブリッシュメント的な存在である所も共通している。

 3年ほど前だったか、イスラム教育学の先生方と雑談していて、「貴方はどんなコラムニストの記事を読んでますか?」と訊かれたので、メフメット・バルラス氏の名を挙げたところ、「バルラス氏のコラムは良いですね」と喜びながら、「バルラス氏は、由緒ある家柄の人ですよ。あの人の意見を尊重しないなんてどうかしている」と反エルドアン派の人たちを批判していた。
由緒ある家柄と言っても、それは共和国的・アタテュルク主義的な意味合いであって、保守的・イスラム的な傾向は全く感じられないから、私には、その批判が、何だか奇妙に思えてしまった。
いずれにせよ、エルドアン大統領は、こういった自分より年配の名立たる知識人とも親交を持って、頻繁にその意見を聞いているそうだ。決して、世論調査の結果だけを重視しているわけじゃないと思う。