メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

マルディン市長アフメット・テュルク氏の逮捕

先週土曜日(11月26日)のヒュリエト紙のコラムで、ムラット・イエトゥキン氏は、逮捕されたクルド人政治家アフメット・テュルク氏と面会するために、マルディンを訪れたデニズ・バイカル前CHP党首の談話を伝えていた。

それによると、バイカル氏はマルディンまで出かけたものの、拘束されているテュルク氏との面会を果たせず、自宅にテュルク氏夫人を訪ねて、その要望を聞いたそうである。

高齢のテュルク氏の健康状態を案じた夫人は、収監されるならマルディンの刑務所に留めてもらいたいと望み、バイカル氏も直ぐさまベキル・ボズダー法相に、これを要請したという。

しかし、ボズダー法相が、バイカル氏へ「要請を関係所管に伝える」と返答したにも拘わらず、テュルク氏は、イスタンブール近郊の刑務所まで移送されてしまった。バイカル氏によれば、法務大臣の指令さえも軽視する何らかのメカニズムが機能しているらしい。

また、この数年来、バイカル氏とエルドアン大統領は、与野党間の争いをよそに、様々な局面で連絡を取り合って来たのではないかと憶測されているけれど、バイカル氏は、エルドアン大統領の最も忠実な側近と言われているボズダー法相とも、簡単に連絡を取り合える間柄であるようだ。

2015年3月13日(金)


ところで、2009年の8月、エルドアン首相(当時)と会談したテュルク氏は、やはりムラット・イエトゥキン氏のコラムを通して、当時まだCHPの党首だったバイカル氏に、以下のようなメッセージを伝えている。

「私はあの時に心を分かち合ったバイカル、痛みを理解し、拷問の何たるかを知り、それを追及しようとしたバイカルと会いたい。もしも、また向かい合って座り、ラクを飲みながら話し合えたなら・・・。我々は古い友人同士だ」

1980年の軍事クーデターで、バイカル氏と苦難を共にしたテュルク氏(当時はCHPの党員)は、1983年、マルディンを訪れたバイカル氏とラクの杯を酌み交わしながら、苦難の日々を語り合ったというけれど、信心深いエルドアン首相が、ラクを飲めるはずもないから、これはなかなか意味深なメッセージであるように思えた。

しかし、この時(2009年8月)、バイカル氏は、「PKKをテロリストと認めない者とは話し合えない。アフメットは変わってしまった」と述べて、テュルク氏の呼びかけを、にべもなく拒絶している。

今回、バイカル氏は、PKKに協力した罪で逮捕されたテュルク氏を擁護しながら、面会を求めてマルディンにまで出かけているのだから、7年前と現在で、何がどういう風に変化したのか、検証してみなければならないだろう。

7年前、エルドアン首相は、テュルク氏とも会談して、クルド問題の解決に、一応前向きな姿勢を見せていたものの、あの頃は、元来AKPを支持していたイスラム的なクルド人たちの中からも、エルドアン首相の姿勢を非難する声が上がっていた。

エルドアン氏の側近と言ってもおかしくないメフメット・メティネル氏が、エルドアン首相に対して、「クルド問題に対する態度が民主的じゃない」とか「トルコを統治するだけの知性も政治的な蓄積もない」といった激しい言葉を浴びせていたのもあの頃だった。

2015年11月29日(日)


その後、2010年9月の憲法改正国民投票を乗り切った辺りから、徐々に好転の兆しを見せていたクルド問題の解決は、2011年6月の国政選挙におけるAKPの圧勝を経て、いよいよ加速され、2013年3月の平和宣言に漕ぎつける。

それが、2015年の7月以降、再び大きく暗転してしまったけれど、これはシリアの内戦に活路を見出したPKKの戦略転換によるものであり、トルコ国内のクルド問題ではないと主張する識者もいる。果たして、今後の展開は、どうなって行くのだろうか?