メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

LGBTの問題/トルコの同性愛者

イスラムの教義で同性愛は禁じられているという。

2009年、女性タレントのインタビューを受けたトルコのイスラム主義者アブドゥルラフマン・ディリパク氏も、「イスラムに同性愛はあるのか?」という問いに対し、「イスラムでは、同性愛に限らず、あらゆる非合法的な性接触がハラーム(禁忌)とされている」と答えていた。

ところが、その7年前の2002年、当時のAKP党首エルドアン氏(まだ首相になっていない)は、大学生との交流プログラムに出演し、同性愛者の権利を問うた大学生へ次のように応じている。

「同性愛者らも、その権利と自由の枠組みの中で、法的な保障を得なければならない。また、時折、テレビで見受けられる、彼らも対象となっている扱われ方が、人道的であるとは思っていない・・・」

これは、以下の“YouTube”の映像から観ることが出来るけれど、ヘラヘラ笑いながら質問した大学生は、エルドアン氏が回答に窮するだろうとでも思っていたのかもしれない。しかし、エルドアン氏は至って平然と質問に答え、特に驚いた様子も見せていない。

www.youtube.com

とはいえ、今日、エルドアン大統領に、同性愛者同士の結婚を認めるかどうか訊いたら、多分、「ノー」と答えるような気がする。

そういった事柄には、もちろんイスラムの教義も関わって来るはずだ。さすがに、この一線は、エルドアン大統領も譲らないのではないか。

2021年、トルコは「ジェンダー平等」といった要素も含まれている「イスタンブール条約」からの撤退を表明した。

この撤退は、おそらく少子化への影響を懸念したためではないかと思う。男女の性差も無視した平等論には、少子化を加速させる恐れが指摘されているそうだ。エルドアン大統領は「LGBT」の平等にも反対していた。

しかし、エルドアン大統領が、同性愛者に対して、それほど強い偏見を懐いているとは思えない。

エルドアン大統領への強い支持を表明している歌手のビュレント・エルソイ氏は歌唱力に優れ、トルコでは「ディーヴァ」と呼ばれるほど評価も高い。

ところが、「ビュレント」は歴とした男の名であり、1970年代のデビュー当時は、普通にスーツを着て、男性歌手として舞台に立ち、映画などにも出演していた。

その後、女装して歌うようになり、同性愛者であることが明らかにされ、1981年にはロンドンで性転換手術を受けたという。

いつだったか、トルコの新聞のテレビ欄に「ビュレント・エルソイ、男時代の最後の映画、お見逃しなく!」なんて記されているのを見てのけぞってしまったけれど、上記の事情を知らない人には、いったい何のことやら理解されなかっただろう。

トルコ語ウィキペディアの記述によれば、1988年までトルコでは、この性転換が認められず、1983年には最高裁判所で、「法律上、男性であるから、男の服を着て舞台に立たなければならない」という判決が下されたらしい。

1988年に、性転換を認める法改正に尽力したのは、当時のオザル首相だったとも記されているけれど、トルコにおけるイスラム復興の道を切り開いたと言われているオザル首相が、性転換の承認にも一役買っていたというのは非常に興味深い。

イスラムの復興をさらに推し進めて来たエルドアン大統領も、支援集会などに出席したエルソイ氏と親しげに懇談したりしている。

そういった様子を見ても、エルドアン大統領が同性愛者(性転換して女性になったエルソイ氏は、厳密に言えば元同性愛者であるかもしれないが・・)に対して、それほど強い嫌悪感を抱いているとは思えないのである。

ビュレント・エルソイ氏の歌唱は、以下の“YouTube”で聴くことができる。

この歌は「自分の運命に抗議する。この運命を呪う」といった内容であるけれど、エルドアン大統領を支持するエルソイ氏が「LGBT」の平等を規定する法案に賛同するようには思えない。「運命に抗議する」と歌ったとしても、それはあくまでも自分自身の個人的な問題と考えているのではないだろうか?

www.youtube.com

昨年の4月、断食明けの食事会に招待されたエルソイ氏。(エルドアン大統領夫妻の前に腰かけているのがエルソイ氏)

kisadalga.net