メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領に対する識者の評価

 エルドアン大統領を支持する識者の多くは、その資質として、胆力というか、何事にも動じない“堂々とした態度”を挙げている。
歴史学者のハリル・ベルクタイ氏も、先日、出演したテレビ番組で、「ギュレン教団の策謀に対して、全くパニックに陥ることがなかった」と語り、エルドアン大統領の胆力を絶賛していた。
肝っ玉の小さい私は、「落ち着きがない」と友人たちから良く揶揄われている。常に貧乏ゆすりを繰り返したり、指先を小刻みに動かしたり、目をキョロキョロさせたりしているそうだ。
こんな私が感心しても始まらないが、確かにエルドアン大統領は、いつも堂々としている。貧乏ゆすりや、身体の一部をせわしなく動かしている場面など見た覚えがない。
そのためか、「ギュレン教団の策謀」といった不安が一掃されるまでは、エルドアン大統領にまだまだ頑張ってもらわなければという声には、なかなか根強いものがある。
サバー紙のラシム・オザン・キュタヒヤル氏によれば、現在のトルコ軍は、ペリンチェク派(アタテュルク主義の左派)・テュルケシュ派(トルコ民族主義的なMHP支持派)、そしてギュレン教団の残党に三分され、将校の中で、エルドアン大統領とAKPを積極的に支持しているのは1%にも満たないそうだ。
(ちょっと数字等は信じがたいが、将校らにエルドアン支持者が少ないのは事実であるかもしれない。)
つまり、ギュレン教団の策謀や軍事クーデターの可能性が完全に除去されたわけではないと言うのである。
これでは、エルドアン大統領も健康管理を疎かにしてはいられないだろう。是非とも、糖質制限を実施してもらいたくなる。
一方、エルドアン大統領を支持する識者の中からも、その胆力や“現実に合わせる柔軟性”以外に、見識の高さや哲学的な深さといった資質を指摘する声は、余り聞かれないような気がする。
エルドアン大統領に批判的な、元軍人のジャーナリスト、エロル・ミュテルジムレル氏などは、「周囲に影響されやすい単純な人」とこき下ろしていた。
しかし、今やエルドアン支持派と言っても過言ではない、リベラルな知識人のハサン・ビュレント・カフラマン氏は、エルドアン大統領を、その柔軟性と共に“記憶力の確かさ”でも高く評価していた。
昨年か一昨年に読んだ新聞記事で、記憶力の余り確かではない私が覚えている限りによれば、カフラマン氏は、エルドアン大統領の印象を次のように述べていた。
まず初めに、首相時代のエルドアン氏と会議で顔を合わせた際は、自身の意見に反対されたため、それほど良い印象ではなかったものの、数年後、ある会議場のような場所で出会ったところ、エルドアン首相から、「今思えば、貴方の意見が正しかったようだ」と声を掛けられ、非常に驚いたそうである。
そして、自分が反対していた意見に、「今思えば正しいのでは・・・」と言える謙虚さと、数年前の会議の内容を克明に覚えていた“記憶力”に舌を巻いたという。
ここでは、もちろん、考えを改めたエルドアン大統領の謙虚さも評価に値するけれど、思想的にも根底から異なっていたエルドアン大統領へ、こうして再認識を試みることが出来たカフラマン氏の謙虚さも同様に評価して良いのではないだろうか?
私のように何の主体性もない馬鹿たれが、ころころ意見を変えるのとはわけが違う。以下のハリル・ベルクタイ氏もそうだが、確固たるイデオロギーを持っていた知識人が、自ら軌道修正を図るのは、それほど容易くないと思う。

merhaba-ajansi.hatenablog.com