メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アタテュルクに対する個人崇拝

1991~94年にかけて、初めてトルコで暮らした3年の間、トルコの人たちと親しく語り合ったりしながら、何を不満に感じていたのかと言えば、それはアタテュルクに対する個人崇拝だったかもしれない。
まず、その称賛を押し付けられるのが嫌だった。私たちは、日本語を学んでいる外国人に、西郷隆盛勝海舟を称賛するよう求めたりするだろうか?
それから、アタテュルクについては、少し批判めいた話題に触れただけで、大変なことになるから、口を慎まなければならず、それも不満の鬱積につながったようだ。トルコ人がいないところでは、度々アタテュルクの神格化を茶化すような話で盛り上がったりした。
こういった背景もあって、ようやく新聞の記事などが読めるようになると、アタテュルクに対する個人崇拝、あるいは共和国の体制そのものを鋭く批判していたリベラル派ジャーナリストのコラムを興味深く追うようになった。
2013年に亡くなったメフメット・アリ・ビランド氏、現在サバ―紙に書いているメフメット・バルラス氏、特にこの両氏の記事を感嘆しながら読んでいた。
逆に、当時の体制派であるアタテュルク主義者のエミン・チョラシャン氏などの記事を読むと非常に不愉快だった。体制の思想を押し付ける冷たい権威主義者、ファシストじゃないかとさえ思えた。
もっとも、ビランド氏やバルラス氏は、オザル大統領を支持していたから政権寄りのジャーナリストであり、チョラシャン氏が反政権と言えたかもしれない。しかし、当時は民選の政権よりも、背後で睨みを利かせる軍部の力が重要だったのではないかと思う。
現在もバルラス氏は、エルドアン大統領を支持する政権寄りジャーナリストの筆頭に数えられている。ビランド氏は亡くなる前、「ターイプ・エルドアンの10年」というエルドアン氏の功績を称えるドキュメンタリーの制作に取り組んでいたそうだ。
軍部は表舞台から退き、政権と体制は既に融和していると思われるため、今のバルラス氏は体制の批判者というわけでもない。反エルドアン派の人たちからは、まるで独裁者エルドアンの御用記者のように言われている。
一方のチョラシャン氏は、反エルドアン派の旗頭であるソズジュ紙で活動を続けているけれど、今でも体制派と言って良いのかどうかは良く解らない。というより、体制派とか反体制派などと論じる必要は、もう余りないような気がする。
体制に纏わるタブーはかなり少なくなった。アタテュルクへの批判はさすがに躊躇われても、個人崇拝を批判するのは、既に危ういことでもないだろう。
エルドアン大統領や政権に対しては、それこそ殆ど根拠のない誹謗中傷までまかり通っているのだから、外国人の私も注意深く口を慎んでいた90年代を振り返ってみれば、なんだか感慨深く思えて来る。

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