メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの名家

一昨日、“YouTube”の「おすすめの動画」欄に、“The Atlantic Records Story”というのが出ていたので、少し観ていた。英語が解るわけじゃないし、ジャズにも特に興味はないので、2分ぐらい観てから、途中を飛ばして、最後の方の所をちょっと観た。
場面は、アトランティック・レコーズの創業者アーメット・アーティガン氏の邸宅のようだった。アメリカの何処に所在しているのか解らないが、とにかく大きな邸宅で、お茶を用意したメイドさんが、その長い廊下を歩いて、アーティガン氏のもとへ行く。お茶を受け取ったアーティガン氏は、「テシェキュル・エデリム(ありがとう)」と丁寧なトルコ語で挨拶する。
アーメット・アーティガン氏は、もともとトルコ人なのだから、トルコ語を話して何の不思議もないが、アメリカの邸宅で働くメイドさんトルコ人だったのは、ちょっと意外な気がした。良く見ると、邸宅の部屋のデコレーションも何処かトルコ風である。人生の大半をアメリカで暮らしながら、最後までトルコ人としての矜持を持ち続けていたのかもしれない。
アーメット・アーティガン氏(トルコ語ではアフメット・エルテギュン)は、イスタンブールに生まれ、父親が駐米トルコ大使に任命されたのに伴ってアメリカへ渡り、父親が亡くなった後もアメリカに残ってアトランティック・レコーズを創設し、ジャズやロックミュージックの分野で大きな成功を収める。
そして、2006年12月14日にニューヨークで亡くなり、遺体はイスタンブールに運ばれて、12月18日、ウスキュダル区内にあるオズベックレル・テッケスィという僧院の墓地に葬られた。当時、私はそこから歩いて10分ぐらいの所に住んでいて、翌年、その墓地を訪れたこともある。
オズベックレル・テッケスィは、18世紀に創建された僧院で、初代の僧主となった中央アジア・ブハラ出身のナクシュバンディ教団の指導者アブドゥラー・エフェンディが発展の礎を築いたと言われており、アフメット・エルテギュン氏は、このアブドゥラー・エフェンディの後裔に当たるそうだ。
アトランティック・レコーズの創業者は、オスマン帝国の由緒あるイスラム教指導者の家系だったのである。
プロデューサーのアリフ・マーディン氏(トルコ語ではマルディン)もトルコ人だが、こちらは預言者ムハンマドマホメット)の後裔と言われ、やはりオスマン帝国有数のウラマーイスラム法学者)の家系らしい。
一族はセルジューク時代に、アラビア半島のマディーナから、トルコ南東部のマルディンへ移住した。以降、マルディンからイラク方面にかけての地域で、主だったイスラム学者の多くは、この一族の出であるという。
マルディン家は、19世紀にイスタンブールへ出て来てからも、帝国のウラマーとして要職に就き、貴族階級的な存在だったそうだ。
共和国の時代になっても、マルディン家からは著名な人物が輩出している。アリフ・マルディン氏の姉であるベテュル・マルディン女史、従兄弟のシェリフ・マルディン氏等々・・・
ジャン・パケル氏は、「AKPを支持する新興の中産階級が台頭した為、トルコには二つの中産階級が存在するようになった」として、“白いトルコ人”を西欧志向型の中産階級と看做していたけれど、本来は、パケル氏やマルディン家のような人たちを対象にした造語だったのではないかと思う。
それが今では、確かに、範囲を中産階級まで広げて使用されているようだ。特に、6月の“ゲズィ公園騒動”以来、AKP支持の保守層が、抗議デモに加わっている人たちを揶揄しながら、「“白いトルコ人”には困ったものだ」と言っているのを何度も耳にしている。
ミリエト紙のコラムで、アスル・アイドゥンタシュバシュ氏が、抗議デモに加わっている人たちの多くは「・・・政権から疎外され、罰せられたと感じている“都市住民、政教分離主義者、中流層”」だと解説していたけれど、この人たちが、今や“白いトルコ人”にされてしまったようである。
“白いトルコ人”と言えば、何かとても富裕なイメージがあるから、一層忌々しい感じがしてしまう。政権寄りの“真っ白いトルコ人”の識者たちは、スケープゴートってほどでもないが、なんとなく不満を逸らせる為、意図的に使っているのではないかと疑いたくなる。
それよりも、二つの中産階級が和解できるように、“白いトルコ人”の説得に努めてくれたら良いけれど、彼らも異見に耳を傾けてくれないから、これは確かに難しいかもしれない。