メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

MHPとAKP

MHPは、1960年軍事クーデターの首謀者の一人だったアルパスラン・テュルケシュ元陸軍大佐によって、1969年に成立している。

シンボルとなっている伝説上のトルコ民族の始祖“灰色の狼”は、モンゴルの“蒼き狼”の伝説を思わせるが、“灰色の狼”の故地エルゲネコンも、中央アジアモンゴル高原の辺りだとされているらしい。

しかし、現在、MHP支持者のどのくらいが、自分たちのエスニック的なルーツはモンゴル高原と信じているのか、その辺のところは何とも良く解らない。

クズルック村にもMHP支持者はかなりいたけれど、彼らの中には、祖父母の世代が未だチェルケス語やグルジア語を話していたりして、そのルーツが明らかだった例も少なくなかった。

なにしろ、母語としてクルド語を話しながら、MHPを支持する人もいるのである。全ては“伝説”と承知して、彼らのエスニック的なルーツには余り拘らない方が良いかもしれない。“トルコ人”のルーツは、その多くが、5~6世代先までしか遡れないのではないかと言われている。

このMHPとAKP政権の支持基盤は、もともと非常に似通っていたそうである。「似通っているんじゃなくて、ほぼ同じだ」とまで言う人もいる。昨年には、MHPの創業者であるアルパスラン・テュルケシュ氏の子息トゥールル・テュルケシュ氏が、AKPへ移籍して話題になっていた。

AKPは、一時期、「グローバルなイスラム主義の政党」などと思われたりしていたが、それは当初、ギュレン教団と協力関係にあったからであるような気もする。

AKPの母体となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”は、“ミッリ(国民の)”と謳っているだけあって、もともと民族主義的な傾向も備えていたらしい。そのためか、“ミッリ・ギョルシュ”を率いていたネジメッティン・エルバカン師は、ギュレン教団を「アメリカの手先」と罵って、徹底的に嫌っていたという。

先月だったか、反エルドアンの急先鋒と目されているCHPのギュルセル・テキン氏が、「イスタンブール市長時代、エルドアンギュレン教団に便宜を図ろうとしなかった」と明らかにして、珍しくエルドアン氏を評価していたけれど、当時のエルドアン氏は、エルバカン師の愛弟子と言える存在だったのではないだろうか?

その後、エルバカン師と袂を分かって、AKPを立ち上げ、ギュレン教団と協力関係に入ってからも、エルドアン氏が教団を警戒し続けていたとしても不思議ではない。今思えば、ギュレン教団の友人たちの間で、エルドアン氏の評判は、当初より芳しくなかった。

7月15日のクーデター事件後に、エルドアン大統領は、「2012年以来、私は一人でギュレン・テロ組織と戦ってきたかのようだ」と不満を漏らしていたが、どうやらそれまでは、AKP党内からも思ったほどの協力を得られていなかったらしい。

さすがに眉唾じゃないかと思うが、「AKPは未だ時限爆弾を抱えている」などと警告する識者もいる。“大統領制”といった重要な評決を議会で行う際、AKP党内の隠れギュレン派が反対票を投じて、その時限爆弾を炸裂させるというのである。

ギュレン教団対策の要である内務相に、外様のスレイマン・ソイル氏が起用されたのは、エルドアン大統領の指示に基づくものだと囁かれているけれど、ギュレン教団の問題では、エルドアン大統領が元々の同志よりも、ソイル内務相、あるいはMHPのバフチェリ党首を信頼しているとしても、それがまるで有り得ない仮説とは言い切れないかもしれない。