メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの社会も忙しくなった?

バスの窓から見ていると、運転しながら携帯を使っている人が多いので驚くという話は、この前も書いたけれど、最近、立て続けに何度か、“運転しながらサンドイッチを食べている人”を見て、これまた驚かされた。
しかも、携帯と違って、これは余りトルコの人らしいパフォーマンスじゃないような気がする。ゆっくり食事して、チャイを飲みながら長々とお喋りするのが、平均的なトルコ人の行動様式だったはずだ。
運転しながら食べていたのは、いずれもトラックの運転手だった。配達の時間に間に合わせようとしていたのかもしれない。でも昔から、トルコの運転手たちが、時間通りに荷物を届けるため、こうして食事中も働いていたとは思えない。果たして、いつ頃始まったパフォーマンスなのだろう?

30年前、私は日本でダンプを運転しながら、よく何か食べていた。昼はそうやって済ませることも多かった。現場へ到着する時間が、仮に15分遅れたとしても問題にはならないから、何処かにダンプを停めて、コンビニの弁当でも食べていれば良かったけれど、なんとなく気が急いて、停車している時間はなるべく減らしたかったのである。
それで、朝、おにぎりやサンドイッチを買っておいて、昼になると、それを運転しながら食べた。運転手の中には、運転しながら器用に箸を使って弁当を食べる奴もいた。いずれにせよ、そんな風に食べて美味しくなるわけがない。多分、焦って顔を引きつらせながら口をもぐもぐさせていたのではないだろうか。
最近、イスタンブールで見た運転手たちも、そんな感じだった。イライラした表情で大きなサンドイッチに齧り付いていたりした。
しかし、30年前の私もそうだったけれど、彼らには将来の希望があるから、食事の時間を惜しんで、ガツガツ働いているのだろう。トルコも産業化が進んで、なかなか忙しい社会になった。安全性はともかく、これはそれほど悪いことじゃないかもしれない。
日々忙しくなって、生活のテンポが早まり、宗教的な信仰もその影響を受けているような気がする。なにしろ、新聞の売店のおじさんまで、「社会に奉仕しているから、仕事が礼拝みたいなものだ」なんて言うのである。
宗教が、変わる社会の中で新しい役割を担い、活かされるようになれば、宗教もその変化の影響を受けてしまう。教条化など起こり得ないと思う。

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