埼玉県の蕨市が「ワラビスタン」などと呼ばれ始めたのは、いつ頃からだろう?
既に20年以上経っているのではないかと思う。
多くのクルド系トルコ人が居住するようになったため、どうやら「クルディスタン」をもじって「ワラビスタン」になったらしい。
最近は隣接する川口市にも居住者が増え、少なからぬ問題を生じさせているという。
その中に難民申請者がどのくらいいるのか解らないが、「トルコで迫害されている!」と訴えれば、直ぐに手を差し伸べてくれる支援団体もあるので、『日本の人たちは甘っちょろいな』と感じて、多少図々しくなり、日本の社会をなめてしまう傾向がクルド系トルコ人の間に広がっているとしても不思議ではない。
「クルド系トルコ人」と記したのは、国籍がトルコであれば「トルコ人」と認定されるからだ。
そもそもトルコ人とクルド人を明確に分ける基準など何処にもない。母語がトルコ語であるのかクルド語であるのかも判別の基準とはならないだろう。
2015年にノーベル化学賞を受賞したアジズ・サンジャル氏には、トルコ民族主義的な祖国愛が感じられ、先日のエルドアン大統領就任式でも正面のVIP席にその姿を見せていた。
ところが、従弟のミトハト・サンジャル氏はクルド民族主義的な政党HDPの幹部であり、自分たちの母語は「アラビア語」であると主張している。
同様に、トルコ語やその他の言語を母語とする「クルド民族主義者」、クルド語等々を母語とする「トルコ民族主義者」は、いくらでもいるのである。
本人が「クルド人」と言えば、その人はクルド人ということになるのだろう。
しかし、トルコ共和国の財務相であるメフメット・シムシェク氏も「自分はクルド人である」と言い、インタビューにクルド語で応じたりしているけれど、もちろん財務相として「トルコ人のナショナリズム」も明らかである。
そのため「クルド系トルコ人」が最も無難な言い方であるかもしれない。
川口市では、その「クルド系トルコ人」と思われる産廃業者が不法投棄を行って問題になっているという。
私が40年ほど前に川越市の産廃屋で働いていた頃、その辺りの産廃業者や廃品回収業者の多くは在日朝鮮・韓国人だった。
それをいつの間にか、在日クルド人や在日イラン人、パキスタン人といった人たちが担うようになっていたらしい。
40年前にも「不法投棄」の問題は存在していた。
私が働いていた会社に隣接する業者も、社長は在日朝鮮人だったが、どうやら一時期「不法投棄」に近いことをやっていたのではないかと思う。
その頃、毎朝、まだ暗い内にダンプで都内の現場へ向けて出発すると、度々、反対方向から走って来る隣接業者のダンプが、ハイビームとクラクションで合図してきた。
ある日、現場でその業者の社長と顔を合わせたら、「お前、いつも朝早いな。どうだ、うちへ来ないか?」と肩を叩かれ、合図していたのは社長であることが解った。
私の会社の社長は、「夜中に社長自らダンプを走らせているなんて碌なもんじゃないぞ」と不法行為を示唆していたが、隣の社長さん、運転手仲間からはとても評判が良かった。
「あの社長、ダンプ乗って一緒に仕事してくれるから良いよな」と言うのである。受付係のヤノさんも「朝鮮舞踊とかやってる粋な人だよ」なんて話していた。
うちの社長も、たまにはダンプで現場に来ていたが、作業規則にうるさかったりして煙たがられていた。社長は「俺の仕事はお前たちの仕事を取ってくることなんだ」と良く言ってたけれど、経営者として当然のことだったはずである。
しかし、当時から産廃や解体、廃品回収といった業種は、社会のグレーゾーンに近い雰囲気で不法行為が少なくなかったかもしれない。それを「在日朝鮮人だから」と論う人もいただろう。
日本の社会は、いつの時代も「汚れ仕事」を自分たちの手で行わず、「他人」にやらせようとしてきたのではないだろうか?
それが不法投棄による迷惑で、つけを支払わされているような気もする。
トルコでは、昨日まで「犠牲祭」が営まれていた。犠牲祭では、いつも他人任せにしている「屠殺して肉を得る行為」を自分たちの手で行い、肉のために一つの命が失われたことを思い起こして神に感謝するのである。
もっとも、トルコでもこの儀礼を実践する人は、年々減りつつあり、実践したとしても、屠殺は専門家に委ねて立ち会うだけになっている場合が多いようだ。
それでも、「屠殺」という文字さえ使わないようにして、その行為を遠ざけ、差別的に扱って来た日本と比べたら遥かに良いと思う。