メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

街角の売店

新聞は殆どインターネットで目を通すようになってしまったが、日曜日は読む記事も多かったりするので、10分ぐらい歩く所にある売店まで買いに行くことが多い。今日(10月19日)も散歩がてら、のこのこ出かけて来た。
売店には、新聞の他、チョコレートやビスケットのような菓子、清涼飲料水などが置いてある。市バスで使えるプリペイドカード等のチャージもやっているらしい。
こういう店、日本なら“キヨスク”だが、ここでは“ビュフェ”と呼ばれている。ビュフェは、フランス語の“ビュフェ”だろう。ところが、日本の“キヨスク”はトルコ語が起源というから話がややこしくなる。
語源とされるトルコ語の“キョシュク”は、ペルシャ語から入った名詞らしく、トルコ語~日本語の辞書を見ると「別荘・離れ」となっているけれど、「東屋」という訳もあるそうだ。おそらく、この“東屋”“離れ”のイメージから“キヨスク”という名称が生まれたようである。
しかし、トルコで“キョシュク”という言葉は、富豪などの豪華な邸宅を指すのが一般的じゃないかと思う。アンカラにある“チャンカヤ”の“キョシュク”と言えば、即ち“大統領官邸”のことである。
さて、うちの近所の売店“ビュフェ”では、いつも40歳ぐらいのおじさんが店番している。
ちょっと、そそっかしいおじさんで、いつだったか、サバー紙が値上げして、50クルシュから75クルシュになったのに、1リラを出すと、相変わらず50クルシュの釣銭を出すので、「値上げしているよ」と教えてやったら、「しまった! 俺、朝からずっと50クルシュ出していたよ!」なんて舌打ちしているのである。残念ながら、時刻は、もう昼を回っていた。
いつも新聞買うだけだから、おじさんと会話らしい会話を交わしたのは、あれが始めてだったような気がする。その後も、殆ど挨拶だけで済ませていた。
それが、犠牲祭の初日(4日)に、うちの近くを歩いていると、道路を隔てた向こうで、おじさんが嬉しそうに手を振っている。私も顔は見知っていたから、やっぱり嬉しそうに手を振りながら、通り過ぎたけれど、その時は、何処のおじさんだったのか、さっぱり思い出すことができなかった。
『軽食店の人とも違うし、パン屋でもないし、あの人誰だっけ?』と暫く考えたものの諦め、翌日、新聞を買いに行って、『なんだ、ここのおじさんだったか』と合点が行った。
バイラム(祝祭)の挨拶をして、「昨日はお休みでしたか?」と訊いたら、「いや、生贄を切りに行って来た後、昼過ぎには店を開けたよ。うちはカードのチャージもやっているしね。開いてないと困る人もいるだろ。まあ、社会に奉仕しているから、仕事が礼拝みたいなもんだよ」と朗らかに笑っていた。
しかし、日曜日も休みなく営業しているし、いったいおじさんは、いつ休んでいるのだろう? そういえば、一度、高校生ぐらいの「息子です」と言う若者が店番していたけれど・・・。