メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アブドゥルラフマン・ディリパク氏

先日の“賢人会議”には、アブドゥルラフマン・ディリパク氏のようなイスラム主義者のジャーナリストも参加していたし、どちらかと言えば政教分離主義に近いリベラルであるタルハン・エルデム氏のような識者も参加していた。様々なカテゴリーに属する人たちが集まっていたのではないかと思う。
数は少ないが、芸能界や財界・産業界を代表する人たちも来ていた。ジャン・パケル氏も、長い間、グローバル企業“ヘンケル”のトルコ法人社長を務めていたそうだから、産業界を代表する識者と言っても、間違いではないかもしれない。
トルコでは、宗教や特定のイデオロギーを代表する人たちばかりではなく、産業界などをリードする人たちが、それぞれに一家言持っていて、社会的な影響力もある。
86歳と高齢のため、最近はメディアへの露出も少ないが、トルコを代表するゼネコン“アラルコ”の創業者イスハック・アラトン氏のように、かなり政治的な提言も躊躇わずに発信する産業界の識者も珍しくない。この辺が、他の中東のイスラム諸国とは大きく異なるような気もする。シリアやイラクに“産業界”と言えるほどのものはあるのだろうか?
アフガニスタンなどは、それこそ産業らしい産業もないから、どうしても社会の中で宗教の比重が高くなってしまい、その宗教も、到底、産業が発展した近代的な社会に適応できるレベルには達しないのかもしれない。
また、イスハック・アラトン氏は、ユダヤ人であり、これも他の中東のイスラム諸国には見られない特色じゃないかと思う。
さて、“賢人会議”の途中で、血圧を急上昇させて病院に担ぎ込まれたアブドゥルラフマン・ディリパク氏だが、氏について、ネットで検索していたら、次のような2009年10月の記事が見つかった。

5年前に読んだ時は、気がつかなかったけれど、この記事で、ディリパク氏に際どいインタビューを敢行しているヘリン・アヴシャル氏は、かつては妖艶な魅力で、“国民的娼婦”などと揶揄されたりもした大女優ヒュリヤ・アヴシャル氏の妹だそうである。

一方のディリパク氏は、女性とは握手もしないというガチガチのイスラム主義者として知られている人物、このインタビューは、5年前の当時も、かなり話題になっていた。
ディリパク氏は、一つの部屋で女性と2人きりになりたくないとして、インタビューに息子を同席させ、ドアも閉めさせなかったそうである。インタビューの問いに対する答えの中でも、「・・・貴方がデコルテを着てきたら、布を被せるつもりだった」と語っているくらいだ。夫人とは、お見合いで結婚し、“恋の戯れ”なども一切認めないという。
しかし、こうしてヘリン・アヴシャル氏のインタビューを承諾して、一緒に写真に収まり、にこやかな笑顔を見せているのだから、発言はあくまでも自分の信条に関わるものであり、それを他人に強制する考えは毛頭ないのだろう。
私は、非常に敬虔な部類の友人たちから、「ディリパク氏のコラムを読んでみろよ」と勧められる度に、『さすがに、あのおじさんは剣呑だよなあ』と遠ざけていたけれど、このインタビュー記事を読んでから、少し認識が変わったような気もする。
中でも、以下のやり取りには感銘を受けた。まったくその通りではないかと思う。
アヴシャル氏:「AKP政権は、トルコを何処へ連れて行くのですか?」
ディリパク氏:「AKP政権に限らず如何なる政権も、一つの社会を前進させることもなければ、後退させることもない。社会は、それに相応しい形で生きる」
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クルド和平プロセス”に関してだが、かつての民族主義的なトルコ人が繰り返していた「クルド人は国家を作れない」「クルド人の国家が独立したら、中東は混乱してしまう」といった言説は、あまりにも下劣で、クルドの人たちを不愉快にさせたに違いない。
しかし、「欧米の介入によって作られ、その後も欧米の介入を期待し続ける国家は、中東に災いをもたらすだけだ」とすれば、これは確かじゃないだろうか。オスマン帝国の時代には、トルコもクルドもなく、中東は平穏に治まっていた。その後、中東で起きた災難は、全て欧米がもたらしたものだったように思える。