メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「労働者の祝祭」

《2014年5月1日付け記事の再録》

今日(2014年5月1日)はメーデーで、工場も休日だった。この10年来、殆ど仕事のないフリーの通訳だか何だかで過ごして来たため、気がついていなかったけれど、トルコでは、2008年からメーデーが「労働者の祝祭」として公休日になっていたらしい。
2月の初旬、2週間ほど通っていた工場に、3月末より、また2ヶ月間の契約で出勤している。工場へは、以下でもお伝えした「送迎ミニバス」に乗って行く。

 送迎の同乗者たちとは、もうすっかり仲良くなったが、この業務も後3週間ほどで終了してしまう。送迎に限らず、工場で顔を合わせる人たちとは、皆親しくなったし、工場自体にも愛着を感じるようになったから、何だか残念な気もする。
オフィス棟で私たちが使っている部屋をこまめに掃除してくれる雑用係のイスメットさんとは、特に親しくなった。いつも冗談を言い合っている。私と同年輩のイスメットさんは、「お前良いよなあ。通訳とか言って、喋っているだけで金もらえて。俺も中国行って通訳やりたいよ」なんて言う。
いくら「日本人」と繰り返しても、直ぐ「チン(中国)」になってしまうので、もう諦めてしまった。イスメットさん、東洋人は皆中国人だと思っているらしい。
「中国に行って通訳って、何語の通訳やるの? トルコ語以外に知っている言葉あるの?」と訊いたら、「俺、ザザ語なら良く解るよ。教えてやろうか?」と身を乗り出してきた。
ザザ語は、クルド語(クルマンチ語)に近い、ペルシャ語系統の言語と言われ、アナトリア東部のトゥンジェリ県、エルズィンジャン県、エラズー県などに話者が多いそうだ。

トゥンジェリ県、エルズィンジャン県には、イスラムの異端派されるアレヴィー派も多いと聞く。イスメットさんはエルズィンジャン県の出身である。

私は、送迎に乗る所で、毎朝サバー紙を買って来る。ここの売店は、他にスポーツ紙ぐらいしか置いていない。

イスメットさんは、私がサバー紙を読んでいるのを見ると、「それは泥棒エルドアンの新聞だぜ。そんなの読んじゃ駄目だよ。ソズジュ紙を読まなきゃ」と文句を言う。
「ソズジュ紙? イスメットさんは左翼なの?」
「そうだよ。俺は左翼でアタテュルク主義者だよ」
「そして、アレヴィー派でしょ?」
「おっ、良く解っているなあ」
「ジェムエヴィ(アレヴィー派の礼拝施設)とか行くんですか?」
「もちろん。今度、お前も連れて行ってやろうか? サルガーズィで俺の家から近いんだ」
このジェムエヴィの話で大分盛り上がった。実際、都合がつけば、一緒に訪れて見たい。
トルコでは、“左翼”がインテリだけのものにはなっていないようだ。アレヴィー派の民衆の中には、イスメットさんのように“左翼”を名乗る人が多い。でも、イスメットさんは、社会主義共産主義をどう理解しているのだろう? おそらく、以下の話に出て来る「ペンキ屋のおじさん」のような感じじゃないかと思う。

イスメットさんに、「最近、ジェムエヴィも増えたよね。やっぱり、あれはエルドアンのAKPになってから増え始めたんじゃないの?」と水を向けたところ、「違う! 違う! そんなのは大嘘だ!」と真っ赤になって否定してから言った。「ジェムエヴィは、オザルの時代に増えたんだよ」
これはなかなか興味深い話だと思った。イスラムの復興に尽力したオザル氏を、かつて左翼的なアレヴィー派の人たちは目の敵にしていたけれど、最近はその“功績”も認めるようになったのだろうか? 
さて、今日は、昨日イスメットさんが、「明日メーデーに行こう! タクシムに行くんだ。サルガーズィから送迎バスも出るよ」と話していたので、朝、ぶらぶらサルガーズィまで歩いて行ったけれど、ちょっと遅かったらしい。サルガーズィの街角はがらんとして、のんびりした休日の朝の雰囲気が漂っていた。

*パソコンを買い替えたため、保存していた写真を整理していたところ、2006年のメーデーに撮影した思われる写真が出てきたので、その中からいくつかを以下に添付します。

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