メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

オジャランの声明等々

昨日、クルド人の知人に電話して、今回のオジャランの声明について尋ねてみた。

彼はトゥンジェリ県の出身で、イスラム主流のスンニー派から、異端のように見られているアレヴィー派。私と同年輩の温厚な左派の知識人である。

以前はジュムヒュリエト紙の記者だったというくらいで、5年ほど前に知り合った頃は、アタテュルクが創設したCHP(共和人民党)を支持していて、AKP政権にはかなり批判的であり、クルド民族主義的な傾向は全く見られなかった。アタテュルク主義者と言っても良かったのではないかと思う。

CHPの現党首ケマル・クルチダルオウル氏もトゥンジェリ県の出身である。いつだったか、彼に「クルチダルオウル氏はクルド人なんですか?」と訊いたら、「アレヴィー派であることは間違いありませんが、クルド人かどうかは解りません。トゥンジェリ県にはトルコ人もいますから・・・」と答えていた。

昨日の電話で、今回のオジャラン声明を、彼も歓迎しているのが解った。しかし、その後で、彼が「私の友人某と最近会っていますか?」と私に訊いたので、何とも言えない気まずい感じがした。その友人某が、彼を私に紹介してくれたのに、最近、彼らは会っていないのだろうか? 同じ左派で、CHPの支持者なのだが・・・。

彼は、友人某の“オジャラン声明”に対する反応を私から聞き出そうとしていた。

実を言えば、この友人某とは、つい3週間ぐらい前、AKP政権が進めているクルドとの和平交渉について激しく言い争ったばかりである。

「和平交渉など分離独立派らの策謀だ。トルコ共和国の国民なら、“トルコ人”であることを認めろ。それが嫌なら出て行け!」等々、無茶苦茶な意見を並べていた。

彼はそういう雰囲気が解っているから、とても直接その友人から反応を訊く気にはなれなかったのだろう。これは悲劇じゃないかと思った。

この10年で、いろんな枠組みが変わってしまったから、こういった悲劇はトルコの至る所で起こっているかもしれない。(知識人とか言われている人たちの間で・・・)

今回のオジャラン声明が出るまで、クルド系政党BDPの議員がイムラル島の刑務所にオジャランを訪ねたりして、様々な形で交渉が続けられていたが、このイムラル島を訪問したBDP議員の中では、特にアルタン・タン氏の存在が注目されていたようである。

アルタン・タン氏はクルド人だが、殆どのBDP議員が左派であるのに対して、彼はイスラム的な人物として知られている。AKPの母体となったイスラム系の福祉党で活動していた時期もあり、左派クルド系政党に加わったのは、2000年になってからだった。

エルドアン首相とは、福祉党以来、旧知の間柄であり、その為、オジャランも、イムラル島訪問のメンバーとして、特に彼を指名したと噂されている。

PKK、そしてクルド系政党は左派という枠組みもとっくに崩れていたのかもしれない。そもそも、南東部のクルド地域には、敬虔なムスリムが多く、この地域はクルド系政党と共にイスラム系政党の大票田でもあった。今もって、AKPの支持者が少なくない。

アルタン・タン氏の主張は、なかなか過激だ。トルコ共和国の体制を変える必要はないが、共和国の枠組みの中で、民族も宗教も全てが自由であるとして、共和国になってから閉鎖されたアレヴィー派の教団、ギリシャ正教の宗教学校等々は皆元通りに活動を再開すべきだと言う。

民主主義や政教分離も、世界の最も発展した基準に合わなければならないと主張していた。西欧じゃなくて“世界”の基準。タン氏の話はどれも何だか少し大袈裟な気がする。「ビザンチン帝国以来、ここでは国家が宗教を管理してきた。これを自由しなければならない」と宗務庁の廃止を求める時もビザンチンまで遡ってしまう。

しかしながら、イスラム的な人たちの中には、以前、「政教分離主義に合わせようとする宗務庁がイスラムを薄めている」と文句を言う人もいたけれど、AKP政権が基盤を固めて以来、宗務庁が特に変わった印象はないのに、そういう声は余り聞かれなくなった。

昨年の夏、宗務庁のテレビ局が開局したそうだ。その調印式で、ビュレント・アルンチ副首相は、既にテレビがトルコの人々の生活に欠かせないものになったと言って、自分の孫が観ているアニメのキャラの真似まで披露したり、政教分離の理解も変わったと明らかにしながら、列席している宗務庁の副長官をからかったりして、皆を笑わせていた。

「ほら、エクレム・ケレシュ先生もネクタイをするようになったでしょ。昔、小巡礼へ一緒に行ったことがあるけれど、あの頃、先生はネクタイなんて知らなかったよ。なかなか似合っているね。顎鬚生やしながらネクタイしめて・・。ブランドの靴を履く人もいれば、ブランドのジャケットを着る人もいる。でも、ズタ袋みたいな服(原理主義者風の服装?)を着てはいけない。なんでも綺麗にしないと・・・」

トルコのイスラム的な人たちは、かつて西欧の価値観に反対するような発言を躊躇わなかったものの、その実、西欧というか“世界”の基準に出来る範囲で合わせようと努力してきたのではないかと思う。今や臆せずに、「世界の最も発展した基準に合わせるのは当たり前でしょ」と言うようになった。

AKP政権は、その近代的なイスラムに相変わらず熱心だけれど、イスラム主義といったイデオロギーからは後退したような気がする。既に、イスラム主義、政教分離主義というかつての枠組みは余り意味を成さなくなっているのではないだろうか。エスニック的な民族主義もそうなって行くと期待したい。