メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの新国会

トルコの国会は、議長も選出され、今週中にもエルドアン大統領がAKPのダヴトオウル党首に組閣を命じて、本格的な連立の交渉に入ると見られている。

今のところ、CHP、もしくはMHPとの連立になるだろうと言われているものの、HDPの可能性が全くなくなってしまったわけでもないらしい。

HDPは、選挙前、クルド系のエスニックなアイデンティティーに基づく政党ではなく、トルコ全体の左派政党になると宣言していたが、結果を見れば、南東部のクルド人地域から得た票の比重が圧倒的に高く、やはりクルド系の政党と言って良いのではないかと思う。

それどころか、多数、AKPからの転向があったため、イスラム的・保守的なクルド人の支持者も増えて、もはや左派政党とばかりは言っていられなくなるという声も聞かれる。

しかし、選出されたHDPの議員は、クルド系に限られているわけじゃなくて、多彩な顔ぶれになっている。アルメニア人のガロ・パイラン氏も当選した。アルメニア人の議員は、CHPとAKPからも選出されている。CHPからはセリナ・ドアン氏(女性)、そしてAKPからマルカル・エサヤン氏である。

当選はしなかったけれど、HDPから立候補したトラブゾン県出身の友人もいる。23年前に3ヵ月過したイスタンブール学生寮の舎監だったハイダルさんである。これには驚いた。

また、イムラル島に収監されているPKKの指導者オジャラン氏の姪も当選して話題になっていた。

この全てが、わずか10年前であっても、想像さえできない“未来”だったに違いない。

スカーフを被った女性議員など、もうそれほど騒がれもしなかった。16年前、スカーフを被ったまま国会へ入り、直ちに退場させられたメルヴェ・カヴァックチュ氏の妹であるラヴザ・カヴァックチュ氏が、当時姉が被っていたスカーフで宣誓式に臨み、これが少し話題になったくらいである。

一昨日(7月5日)のサバー紙で、歴史学者のシュクル・ハニオウル氏は、こういった変化について、次のように書いていた。

「多くの国会議員がアイデンティティーを修正することなく、“自分たち”として国会に入った。これは、社会操作プロジェクトの長いプロセスが終焉に至ったことを示している。・・・」

ハニオウル氏によれば、社会操作プロジェクトは、“国民国家”の建設と共に始まった「個人を“理想的な一つのタイプ”に変えていくプロジェクト」だったが、これは殆ど不可能であるため、次第に“エリートの標準”を明らかにして、これに合わない者を“公共のエリア”から締め出すという方策へ転換が図られた。

そして、このプロジェクトの最後の砦だった国会も、ついにその門を、「押し付けられた条件を認めない、“自分たちであること”に固執する個々」へ開け放ち、プロセスに終止符が打たれたと説明されているのである。

しかし、ハニオウル氏は、1908年のオスマン帝国の議会も、アルバニア人、アラブ人、アルメニア人、マケドニア人、ルーム(ギリシャ人)の議員たちが、エスニックのアイデンティティーを前面に出しながら、“自分たち”として参加していたものの、結局、社会的な問題を解決できなかったばかりか、この集合体を維持することもできなかった歴史的な事実を指摘して、さらに考察を進め、以下のように結んでいる。

「・・・国会の“真の人たち”が、目標とすべきは“アイデンティティーによる政治の強化”ではなく、“平等な国民たちによって構成される政治的な社会”の創造であることを軽んじなければ、トルコは長い年月を経た今、構造的な変革を始めることができるだろう」。

こうして、トルコ共和国がさらなる飛躍を遂げられるように祈りたい。