メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

続・韓国はハイテクに強いが、ローテクはそれほどでもない?/現場主義のトルコ人社長

上記で話題にした輪転機は、全長10m以上になる巨大なもので、その価格も桁が違う。テスト運転でまともに作動しなかった時は、トルコ側が真っ青になっていた。製造を請け負ったのは、韓国で設立されて間もない小規模な企業だったので、結局、直しきれずに前払い金が水の泡になる可能性もあったからだ。

それで、毎日、原因究明の状況を問い質し、韓国企業の社長さんらを締め上げる「会議」が繰り返された。あれでは、精神的にまいってしまうのではないかと心配になったが、社長さんたちはそれほど滅入っているようでもなかった。なにしろ、宿泊しているホテルで夕食を済ませると、全員(5名ほど)が社長さんの部屋へ集まって、酒盛りを楽しんでいたのである。

私も何回か呼ばれて同席したけれど、その日の業務に関わる話はほんの僅かで、あとは気分転換のための雑談、景気の良い話で「わっはは」と豪快に盛り上がったりしていた。

そればかりではない。ローラーを作り直すため、一旦、韓国へ帰国した際には、トランジットで立ち寄ったイスタンブールで、悠然と観光を楽しんだそうである。もっとも、トランジットの時間は僅かだったから、悠然とまでは行かなかったかもしれない。

今、正確に覚えていないが、使える時間は90分ぐらいだったのではないかと思う。「渋滞に巻き込まれたらトランジットに間に合わないかもしれませんよ」と注意しても、全く意に介していないようだった。2~3週間後、工場で再会して、「イスタンブールでは観光できましたか?」と訊いたら、「タクシー飛ばして、ブルーモスクもヤソフィアも観て来ましたよ。わっははは」とまた豪快に笑っていた。韓国にはこういう人たちが多い。私は韓国のそんなところが大好きである。

ところで、この社長さんは、現場では作業着姿で組み立て作業を手伝ったりもしていたけれど、叩き上げの職人といった感じではなかった。おそらく、工学部などを出てから、大企業でエンジニアとして働いた後、独立したのではないかと思う。不具合の原因を調べるのに、デジタル表示される数値ばかりを見て、手で機械に触れて見なかったところにも、現場ではなく机上で学んできた雰囲気が窺えた。

これは、その印刷工場で輪転機のメンテナンス等を担当するトルコ人のエンジニアらにしても同様である。原因を明らかにした日本人エンジニアが来る前に、輪転機の中へ潜り込んで原因を探そうとしたのは、印刷工場の若いトルコ人社長だけだった。

この方は、叩き上げの職人でもなければ、エンジニアでもなかっただろう。米国の大学で経営学を修めたはずではなかったかと記憶している。その後、日本の印刷工場で暫く修業したそうだ。それは、親日的だった先代社長の希望によるものだったらしい。その先代が急に亡くなり、若くして社長の座に就くと、思い切った改革を行って社風を刷新したという。

自ら作業着で現場に入り、職人たちとも気軽にコミュニケーションをとっていた。熟練の職長を見込んで、会議にも出席させていたけれど、これを幹部社員やエンジニアたちが嫌がっているのは明らかだった。日本人エンジニアは、それを評して、「あのエンジニアたちはどうしようもない。ここで機械のことが一番良く解っているのは社長、次はあの職長だよ」と話していた。

しかし、そういった日本風の現場主義は、既に時代遅れだという批判もある。私にその辺りの是非は解りようもないが、あの輪転機に取り付けられていたハイテク機器は、例の駆動を調整する機器に限らず、皆日本製だった。半導体では画期的な成功を遂げていた韓国も、当時、この分野には未だ全く手が出せなかったらしい。

2008年に韓国製の輪転機が導入される前、2006年頃だったか、日本製の輪転機が施工された際、開発したプログラムを入力させるために来ていた日本のハイテク企業があった。この企業は、既に機器を製造することさえなく、プログラムを開発するだけになっていたようである。それでもエンジニアは、作業着を着て現場に来ていたが、その背景にある思想を私に説明してくれた。

門外漢の私が、ちゃんと理解出来ているどうか心もとないが、それは以下のようなものだ。

今でこそ、仕事はパソコンで出来るようになったものの、かつてはその企業も、実際に機械を作り上げながら、テクノロジーを発展させてきた。だから、何故、そのテクノロジーが必要になり、どうやって開発したのか、その過程や意義が今の世代にも受け継がれている。ところが、新興国のエンジニアたちを見ると、彼らはパソコンの時代になってから参入してきた為、その過程や意義が受け継がれていない。これは、彼らにとって重大なマイナス要素であるかもしれない。このような説明だった。

そうであれば、現場の重要性は未だ失われていないようにも思えるのだが・・・。