メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クズルック村民族事情

クズルック村の辺りでは、黒海地方のトラブゾン県から移住して来た人たちがなんといっても一番多く、この人たちはラズと呼ばれたりしている。しかし、彼らの全てが、自らラズ人であると必ずしも認めているわけではない。
「私たちはトルコ人であって、ラズ人とは何の関係もないんです」という人もいれば、
「どうでしょうか、少なくとも近縁にラズ語が話せる人はいないようです」と曖昧に答える人もいる。
クズルックに限って言えば、ラズ語の話せる人はもうほとんど残っていないそうだ。
「私たちは解からないけれど、おばあちゃん達はラズ語を話すことができます。ラズ語はギリシャ語に近いので、この前、テレビでギリシャ人が何かしゃべっているのを聞いて、おばあちゃんは少し解かったみたいです」
と言ったのは工場で働く美人姉妹の妹、なるほど彼女たちはヘレニズム調の顔をしている。しかし、物の本によれば、ラズ語はギリシャ語の語彙をかなり含むものの、文法的には全く違う言語であるそうだから、ギリシャ人が何を話しているのか解かったというのはちょっと怪しいかも知れない。
ちなみに、トルコ共和国の外相(03年2月現在)、ヤシャル・ヤクシュ氏はラズ人である。02年末に訪土した英外相と会見中、求めに応じてラズ語を披露したそうだ。

英外相は「ラズ語はグルジア語に似ている」と言い(英外相にグルジア語の知識があったのかどうかは不明)、トルコの外相が少数民族語を知っていることに感動したらしいが、トルコでこれぐらいのことは珍しくもなんともない。
隣に住んでいる家族もトラブゾンから来たのだが、トラブゾンへは父祖の代に移住したのであって、元々はシリアに住んでいたという。
「シリアということはアラブだったのですか?」と工場で働いている息子に訊いたところ、
「どうでしょうか、もっと前の世代に他所から移ってきたのかも知れません」
そして笑いながら、
「なにしろ私たちは皆中央アジアからやって来たトルコ人ですから」と言い添える。
「えっ、やっぱりそう信じているんですか?」
「そりゃ、本当のところはわかりませんよ。なにしろ何度となく移住したようです。それでとにかく、私たちトルコ人中央アジアから来たことになっているんです。でも、もっと遡れば、人間は皆アダムとイブに行き着くわけで、結局同じことでしょう」(コーランにもアダムとイブの物語は登場する)
彼は信仰心の強い男なのだが、これには頷かされた。
クズルック村では、トラブゾン県から移住して来た人たちとは別に、アブハズ人というコーカサス地方からの移住者もいる。

彼らの故地は現在のグルジア共和国。地図を見ると、黒海沿岸でロシアと国境を接する地域が「アブハジア自治共和国」となっているはずだ。
アブハズ語を解する者はクズルックの若い世代にもかなりいる。彼らには大きなコミュニティーがあり、クズルック村からアダパザル一帯だけでなく、トルコ全域で、アブハズ人がどこにどれくらい居るのかを把握しているそうだ。

さらに、「アブハジア自治共和国」はもちろん、アメリカへ移住した同胞とも結びつきがあるという。
ところで、私がこんなことを知るようになったのは、去年(2000年)、工場で働くアブハズ人の青年からお茶をご馳走になって以来である。
去年の夏、村の中を散歩していて、家の前を通ると、彼はちょうどテラスでお茶を飲んでいた。当然の如く呼び止められ、一緒にどうぞということになった。
席について先ず、『おやっ?』と思ったのは、テーブルに左系の新聞が2種類も置かれていたからで、『こいつはちょっと村の他の連中とは違うのかな?』と感じた。それで、
「この村でこんな新聞読んでいる人を初めて見たよ。大概はスポーツ紙かイスラム系じゃないか?」と言うと、ちょっと照れながら、
「いや、必ずこれってわけじゃない。なんでも読んでますよ」
お茶の後、「うちの農園を案内する」と言うのでついて行くと、家の裏手にはこの辺の特産品である「ヘーゼルナッツ」が植えられており、間にはちょっとした小川が流れていて結構な広さだ。

小川のところまで来て立ち止まると、「マコト、アブハズって知っているか?」と言う。彼がアブハズ人だということは知らなかったが、工場で何人かについては知っていたので、その旨伝えると、それから延々と続くアブハズについての講釈が始まった。
その歴史から文化、コミュニティーの広がりまで、メモでも取らなきゃ消化しきれない内容のことをどんどん説明するのである。アブハズの歴史は、対立するロシア、オスマン両帝国のエゴにより翻弄され続けたようなのだが、とにかくその背景に至るまで実に良く知っていた。
工場にいる他のアブハズ人の面々を思い浮かべて見ても、優れ者が多く、彼はともかくとして大概が出世頭。また、ラズ人に比して宗教傾向も弱いとみられ、スカーフをしている女性も少ないようだ。
優秀なのはマイノリティー特有の強さなのだろうか。クズルック村には少ないのだが、アダパザル一帯では、グルジア人もかなりいて、この辺はマイノリティーの寄り合い所帯といった趣きがある。

その中で、彼らが差別や圧迫を受けているとは、ちょっと考えられない。しかし、ラズの人達と違い、彼らは自分たちの民族性を維持しようと絶えず緊張しているような感じもする。
この日、彼は共和国政府によるトルコ化政策のことを激しく非難していた。それから、ラズ人に対しても、かつて農地をめぐって諍いがあったことなど挙げながら、辛辣な言い方で詰りつけたのだ。やはり、こんなところにはマイノリティーとしての意識が現れていたのかも知れない。
独演会が終って、家の方へ戻って来ると、工場で彼と仲の良い同僚が訪ねて来ていた。何処だかへ中古車を一緒に見に行こうと誘いに来たのである。
この時、私にはまだ独演会の余韻が残っていたので、思わず「この人もアブハズ人なのか?」と訊いてしまった。

彼がつまらなそうに、「いや、ラズ人だよ」と答えると、同僚も「俺はアブハズ人じゃないよ」と受けて、すぐにまた、中古車の話を始める。私は適当に暇を告げてそこを離れた。

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