メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ人教会「アナトリア風の賛美歌の調べ」

私は勿論クリスチャンでもなんでもないが、ロシア教会やアルメニア教会に出入りするばかりでなく、韓国人宣教師の友人につきあって、カドゥキョイにあるプロテスタントの教会へ出かけることもある。
一口にプロテスタントの教会といっても、英国国教会とかバプテスト、メソジストのように色々あるようだが、この区別、私にはちょっと判らない。ただ、イスタンブールには礼拝で使用する言語により、韓国人教会とでも言うべきものもあれば、イラン人教会というようなものもある。
イラン人教会というのは何だか妙な感じもするが、国外に出た後でプロテスタントに改宗してしまうイラン人が結構いるのである。彼らはイランに居た頃はムスリムであったわけで、イランにも住んでいるアルメニア人のような元来のクリスチャンではない。
イスタンブールで知り合った日本語を話すイラン人は、元々ムスリムだったのが、日本で働いていた時分に教会へ通うようになったそうで、「改宗してしまったから、もう国へは戻れない」と話していた。
さて、カドゥキョイの教会だが、これはトルコ人教会。来ているトルコ人はほとんど元ムスリムである。このように改宗したトルコ人が、全国で現在1500名ほどいるらしい。若い人たちが多いので、まだまだ増えると言われているが、果たしてどうなるだろうか。
宣教師の友人によると、日本は宣教師の墓場。何故かと言えば、どんなに頑張っても一向に信者が増えないからで、「じゃあトルコは何だ」と訊いたら、宣教師の非難場所であると言う。中東のイスラム諸国各地で活動する宣教師たちは、いざとなったらトルコへ逃げ込むことになっているそうだ。
カソリックの教会などでは、礼拝中に歌われる賛美歌の妙なる響きになかなか魅了される。クラシック音楽の方面でも、モーツァルトやバッハのミサ曲には傑作が多いようだ。

それで、トルコの歌謡でも、ひょっとすると宗教的傾向のあるものには意外と魅力があるかも知れないと思い、最近は、敬虔なムスリムの人たちが好んで聴くアフメット・オズハンなんていう歌手の曲なんかも、ちょっと聴いて見たりした。まあ、独特な調子があって、そんなに悪くもないのだが、わざわざ聴きたくなるようなものでもない。
ところで、カドゥキョイの教会では、「輝く星座」のようなお馴染みの賛美歌と共に、何かトルコ民謡風の曲が歌われていて、これ、あらためて聴いて見ると、どうもそのアフメット・オズハンの調子によく似ている。
礼拝が終った後で、まだ若いトルコ人の牧師さんに尋ねてみると、
「あれは、アナトリアで神を称える歌に共通してみられる調子なんです」
「すると、この教会で歌われているものも、やはりムスリムが使っている調子を元にして作曲されたんですね?」
「えっ? あの調子は元々アナトリアに住んでいた東方正教会のクリスチャンが使っていたものなんですよ。だってあなた、モスクでムスリムが歌っているところなんて見たことがないでしょう? イスラムに賛美歌というものは元々ありませんでした。ずっと後になって、メブラーナがアナトリアのクリスチャンに伝わる調子を使って例の旋舞を確立したんです」
牧師さんは親切にも、「教会で歌われている伝統的なアナトリア風の賛美歌を録音したCDがあるので、宜しかったらどうぞ」と薦めてくれたが、『アフメット・オズハンのCDも結局ほとんど聴いていないよなぁ』と思い遠慮しておいた。