メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イズミルのラマダン風景

クズルック村の工場ではラマダンともなると、地元の人たちに限って言えば、まず100%近くが断食を実践する。昼間の食堂は日本人と他の地方から来ている数名のトルコ人だけで閑散とした雰囲気になる。これがイスタンブールのトゥズラの工場になると、去年12月のラマダンで断食を実践した者は半数にも満たなかったそうだ。
私が初めてラマダンを経験したのは、92年の「アルサンジャック学生寮」だった。イスラム暦で行なわれるラマダンの開始日は毎年11日ほどずれて行くので、この年は3~4月がラマダンにあたっていた。
「アルサンジャック学生寮」でも初日は半数ぐらいの寮生が断食を実践した。この頃だと夕食の時間になってもまだ日が沈まない為、断食をしていない者は、食堂で配膳を受けたら隣の学習室へ行って先に食べ始める。食堂では、配膳を受ける不届き者を横目に実践者が今か今かと日没時間を待っていた。
もちろん私は、日没を待たずに配膳を受けると学習室へ、するとそこで既に食事を始めていた何人かが、「マコト、君は断食しなくてもいいのか?」と囃したてる。これを受けて、やはりもう食べ始めていた予備校生のファイクが、「皆、日本にそういう悪習慣はないそうです」とやったんで一同やんやの喝采。「おいファイク、それを食堂で待っている連中に聞かせてこいよ」と誰かが言って一同また喝采
こうやってラマダンが始まってみると、こいつは不信心そうだから絶対断食なんかしないだろうなという奴が意外にやっていて、反対に、いつもイスラムの優位性を説いていたトゥファンみたいな奴がちゃっかり食べていたりする。
トゥファンに「なんだ断食しないのかよ」と捩じ込んでやったら、
コーランでも戦争など重要なことがある場合は断食しなくても良いと書かれているんだ。それで、今はボディビルで鍛えているだろ。だから今年はやらないんだ」
「じゃ去年はしたの?」
「去年は大学で編入試験を受けたんでそれどころじゃなかったんだよ」
「じゃその前の年は?」
「あの年も色々学校で忙しくてねぇ。やっぱり学生は勉強が大事だろ」
「じゃその前は?」。ここでトゥファンは笑い出してしまい、
「うるさーい。実を言うと僕は一度も断食なんてしたことがないんだ」と正体を現した。
それどころか、彼はイスラムの礼拝の作法も知らず、未だかつて礼拝したことすらないのだそうである。彼がそれでもイスラムにこだわるのは、ドイツにいて絶えずキリスト教徒と向かい合っていたからなのだろう。
この日の晩、寮の経営者が、一言注意したいことがあるから皆食堂へ集まるように言う。何事かと思っていると、「断食実践者には夜明け前、早い朝食を用意してやっているのに、彼らは静かに食べないで断食を行なわない者の安眠を妨げた」というのがその主旨。
「人に迷惑かけるんだったら断食なんかするな。断食やってくれとは誰も頼んでいないんだ。明日もうるさくしたら夜明け前の食事はもう用意しないからそのつもりで」と厳しい言い方だった。
寮生は皆黙って聞いていたし、実践者が後から文句を言うこともなかった。
「こんなところで聖なるラマダンを迎えたくない」と言って寮を去った、あの敬虔な学生の選択は誤っていなかったようである。
翌日の昼、学校から帰って来ると、昨日は断食していたはずの予備校生がベッドの上で美味そうにパンを食べている。「断食は?」と訊くと、
「僕はいつも最初と最後それに灯明祭の日だけすることにしているんですよ」と平然とした様子。
次の日からも段々と実践者は減っていき、最終的には10人ほどだけが残った。イエトゥキンのような奴は、食堂で配膳を受けながら、日没を待つ面々の前で、
「今日の大学食堂の昼飯は美味かったなあ。なんだか知らないけど最近食堂がやけにすいているから、大盛りにしてくれるんだよね」とでかい声であてこすりを言う。
すると、配膳の順番を待っている他の連中もクスクス笑うので、じっと日没を待っている方はやけに肩身が狭そうな感じで、何だか罰でお預けをくっているみたいに見えたものである。

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