メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ロシア教会(1)「雑居ビルの屋上にある教会」

ここ最近、週末にイスタンブールで度々訪れているのが、カラキョイのロシア正教の教会である。今年(2001年)の正月、『アトラス』というトルコの月刊誌で紹介されていたのを読んで以来、気になっていたけれど、5月になってやっと訪れることができた。 

教会はカラキョイの税関などが並ぶ通りの直ぐ裏にあるが、雑居ビルの屋上に小さなドームを乗っけただけの粗末なものだから、その気になって探さないとなかなか見付からないだろう。
『アトラス』の記事によると、19世紀の末、エルサレムや正教の聖地、ギリシャ北部のアトスを訪れるロシア正教徒に便宜をはかるために作られたもので、かつては屋上の教会だけでなく、各階の部屋も正教徒たちが利用していたようだ。
5月のある日曜日、昼過ぎを見計らって屋上の教会へ上がって見た。この時間を選んだのは、以前に何度か訪れたことのあるアルメニア正教の教会でも日曜のミサは10時ぐらいから延々と2時間ほど続くのを見ていたからだ。果たして、屋上階の扉を開けて中をのぞくと、ちょうどミサが終って、サロンで皆お茶の仕度をしているところだった。
入口のあたりでどうしたものかと様子を覗っていると、頭にスカーフをした若い女性が近付いて来る。私の方から「すみません。トルコ語分かりますか?」と声を掛けると、「もちろんここに住んでいますから」という返事だった。
彼女は3年前、モスクワからやって来たそうである。「学生ですか」と訊いたら、「働いています」という。この時何故だか、どんな仕事をしているのかは訊きそびれてしまった。そこへ、もう一人、やはりスカーフをした若い女性(正教の場合、教会の中で女性はスカーフを被ることになっているようである)が現われたのだが、この人のトルコ語は実に上手く、まるでトルコ人のように話す。
「もうトルコは長いんですか?」

「いえ、1年前に来たばかりで、これから学校へ行こうと思っているんです」
「それにしては素晴らしいトルコ語ですね」
「私達はモルドバルーマニアとロシアに挟まれた小国)から来たんですが、向こうでもトルコ語を使っていたんです。ここのトルコ語とはちょっと違いますけど」
ガガウズトルコ人と呼ばれている人たちだったのだ。そういう人たちがいることは知っていたが、こうして実際会ってみると何だか不思議な感じがする。

中へ通されると、そこにもガガウズの男性が二人いた。彼らによると、父祖が何時、モルドバの地にやって来たのかは明らかになっていないらしい。モルドバの中でも方言の違いがあるので、ルーツはそれぞれ違うかもしれないと言う。
「私はトルコへ来て、カイセリ出身の人が使う言葉に、我々の方言と似たものがあるので驚きました。あの辺りには昔、カラマンルといってトルコ語を話すギリシャ正教徒の住民がいたはずです。私たちの祖先はカラマンルだったのかもしれません」
カラマンルについては、ムスリムトルコ人が正教に改宗したとは考え難い為、元々はギリシャ人で、トルコ語を使うようになってもイスラムへの改宗を拒んだ人たちではなかったかと言われている。すると、この人たちの父祖はギリシャ人ということになるのだろうか?
サロンには彼らの他、ロシア人はもちろんのこと、ウクライナ人やグルジア人もいた。皆、あまり人見知りせず、最初から親しげに話かけて来たりしてトルコ人に良く似ている。やれお茶だ、お菓子をどうぞと大騒ぎするところもそっくりだった。
興味深かったのは、ガガウズ人の通訳を通して聞いた聖職者の話である。ソビエト時代の宗教活動について訊くと、スターリンをかなり評価しているようだった。レーニンの時代、宗教活動は殆ど禁止されたのに対し、スターリンは自身が宗教の学校に通ったこともあって、教会にある程度の理解を示し、特に『大祖国戦争』が始まると宗教界からの支援も望んで、宗教活動の制限には大幅な譲歩を認めてくれたというのである。それがフルシチョフの登場でまた弾圧を受けることになったと、フルシチョフに関しては厳しい調子で非難していた。
後日、トルコ人の友人、この青年はあまり信仰のある方でもないが、彼にこの話をしたところ、
「当たり前さ、バース党のサダムだって戦争が始まったら、アラーに祈りだしたじゃないか。トルコは国民を総動員しなければならないような戦争を経験していないだけなんだ。そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなると思うね」と言う。それから少し語気を強めて、こう続けた。
「ここの軍隊は楽なところに座っているだけなのに、えらく思いあがっているんだ」

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