メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ロシア教会(2)「2度目の訪問、偶然の出会い」

2週間後、またロシア教会を訪ねて見たのだが、この時は、屋上へ上がってみると、未だ礼拝堂でミサが続いていた。ミサはもちろんロシア語で行なわれるわけで、途中で賛美歌がこれまたロシア語で歌われる。
小さな礼拝堂の中は一杯で、信者でもない者が無理に入るのはちょっと憚られた。それに、ロシア正教のミサは立ったまま行なわれることになっていて、カソリックプロテスタントの教会で見られるように長椅子が置かれているわけではない。
それで、外のベンチに腰掛けてミサが終るまで待つことにすると、そこには一人先客がいて、インテリ風な50代ぐらいのトルコ人男性だった。長い間ロシア語の勉強をしていたそうだが、教会へ来るのは今回が初めてらしく、「ミサを随分長い時間かけてやるんですねえ。ムスリムの礼拝のほうがよっぽど手っ取り早いですよ」と笑いながら私に話し掛ける。この辺から既に信仰心のなさそうな感じが見て取れた。
人を何かの類型にあてはめて考えるのは実に愚かなことだが、私はこういう人を見ると、きっとそうに違いないと思ってしまう類型があって、まずこのタイプの人はアタテュルク精神の賛美者で、ジュムヒュリエット(共和制)紙を読み、50年代にソビエトへ亡命してそこで客死したナーズム・ヒクメットという詩人の作品を愛好したりするのである。もちろんイスラムは大嫌いで、スカーフしている女性を見ると卒倒しそうになる。
ミサが終ってサロンでのお茶会の席に着くと、この人はガガウズ人の若い男と話し始めた。話がスターリンの礼賛に及ぶと、
「えっ、そうですかねぇ。スターリンよりフルシチョフの方がよっぽど正しかったのではないのですか?」
ロシア正教徒の立場からみればそうでもありません。スターリンは教会のために大分貢献したんです。それにひきかえフルシチョフは再び弾圧を加えて来ましたからね」
すると彼は、きまり悪そうにちょっと黙ってしまい、それから話題を変えてしまった。こんな様子をみると、やっぱりある程度は類型にあてはまっていたのかもしれない。
それから3週間後に訪れた時のことである。この時も一人、トルコ人が来ていた。やはりロシア語を習っているそうで、知り合いのウクライナ人が教会の所在を知りたがっていたので、一緒に探しながら来たのだと言う。年は35歳ぐらい、この人もちょっとインテリっぽい感じだ。それで危うくまた例の類型に当てはめてしまうところだった。
「どちらの方ですか?」と訊かれたので、日本人と答えてから、「あなたの故郷は?」と問い返すと、「ディヤルバクル」と答える。ディヤルバクルならまずはクルド人と思って間違いない。それで、知っている唯一のクルド語で「チュワニバシ(今日は)」とやると、
「へえー、良く知ってますねえ。どうです、トルコは色んなのがいるから面白いでしょ。イスタンブールではもう長いんですか?」
そこで、今はアダパザルにいるが、イスタンブールにも3年近く居た旨を説明すると、
イスタンブールは本当にコスモポリタンなんですよ。ディヤルバクルから出て来て12年になりますが、まだこの街には私の知らない面がいっぱいあります。この近くに私たちの工房があって、毎日この辺まで来ているのに、今日までここに教会があるなんて全く知りませんでした。そして今、こうやって日本人と話しています。不思議ですねえ、これは。だって外であなたと会ってもただすれ違うだけですよ。今日はここに来て本当に良かった」と嬉しそうに話す。私も同感の意を伝えてから、
「工房って、どんな仕事をされているんですか?」と訊くと、
「シャンデリアを作っています。大々的に輸出しているってほどでもありませんが、ロシアとはかなりの取引になるんです。それでロシア語の勉強を始めました」
「他に何語が話せるのですか?」
「まずはクルド語でしょ。まあこれは母語なんですけど。それから学校でちゃんと教わったのはトルコ語だけです。私はなにしろ小学校しか出てないので、英語なんか全然わからないんです」
これにはいささか驚きを覚えて、

「でも、ロシア語は文字も御存知のようだし、そちらの方とお話しになっているのを見ているとかなりのレベルのようですが?」
「やる気の問題だと思いますね。ディヤルバクル辺りの状況を知っていらっしゃると思いますが、以前はもっとひどかったんです。だからいくら勉強したいと思っていても上の学校へは行くことができませんでした。それからもずっと何か勉強してみたいと思いつづけて来たんです。この頃やっと少しゆとりが出て来たので、ロシア語をこうやって勉強しています。これからは英語もやって見たいですねぇ」
このゼキさんという人と出会うことができて、私もこの日ここへ来て本当に良かったと思う。彼も同様のことを語っていたが、トルコには、彼みたいに学びたいと思いながらも事情が許さず断念せざるを得なかった人たちがまだまだたくさんいるのではないだろうか。