メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

91年春、初めてトルコへ

私が初めてトルコへやって来たのは、91年の春だった。最初からイズミルにあるトルコ語学校で勉強するつもりで来たので、イスタンブールの空港に降り立つや観光もせずに、バスでイズミルへ直行した。
トルコ語を学ぶことになったのは、単に興味があったからで、特別な理由によるものではない。友人たちは、「トルコには美人が多いからなぁ」などと勝手なことを言っていた。しかし、私はトルコが一応イスラム教の国で、男女の関係もかなり制限されたものであるというような予備知識を持っていた為、現地の女性を口説いてみようなんていうおこがましいことは毛頭考えていなかったのである。
それに以前、ソウルで1年半ほど韓国語を勉強したことがあって、その時は、語学上達の早道は彼女を作ることにあるとばかり、少しは頑張って見たものの、うまくいったためしも無く、空振りの連続。韓国の友人たちから、「あなた、それだけ韓国語がしゃべれるのに、なんで彼女ができませんかねぇ」と言われるたびに、「いや、日本語はもっと上手にしゃべりますが、日本でも彼女はできませんでした」と言い返していたような有様で、「30才のこの日まで、満足に女性の手も握ったことすらないが、こうやってトルコへ行く以上、また当分の間お預けだろう」なんて思っていたくらいだ。
イズミルに着いたその翌日、早速、トルコ語学校に出向いたのだが、探し尋ねたあげく、ようやくたどりついた学校は、海岸沿いの繁華街にあって、雑居ビルのワンフロアを借りただけのお粗末なもので、三部屋を教室として使っていた。
校長と名乗る男は、どう見ても25~6才のたよりなさそうな青年である。そのサージットという彼と教員室のような所で話していると、そこへもうひとり、講師らしき人が入って来た。華やかで颯爽とした雰囲気の美しい女性だった。
サージットが、「ファトシュ、日本から来た新入生だよ」と私を紹介すると、彼女は満面に笑みを浮かべながら、さっと私の直ぐ正面に立って、「ホシュゲルディニズ(ようこそいらっしゃいました)」と手を差し伸べて来たのである。少々たじろぎながら、こちらも手を出したところ、しっかり手を握り締めて、挨拶が終るまで離そうとしない。私は、何をしに来たのかも忘れ、しばし感慨に浸っていた。
よく解からないが、相手が同性であるにしろ異性であるにしろ、普通に話す時、お互いの落ち着ける距離というものがあり、文化が異なれば、この距離も違ってくるのではないかと思う。例えば、トルコの人たちは日本人よりずっとお互いの距離を詰めて話したがるような感じである。
美貌のトルコ語講師ファトシュさんに握手を求められて、たじろいだり喜んだりしたのは、彼女が、私の感じている境界線を踏み破って近づいたからなのかもしれない。
しかし、これは私にとって胸のときめく距離であっても、彼女にして見れば、ごく当たり前な近さだったのだろう。
ファトシュさんは随分とモダンな感じの女性だったが、スカーフを被っている保守的な女性であっても、同様に距離を詰めて来る。これでは、女性が近づいて来るたびに、胸をときめかしていなければならない。結局、私が感慨に浸っていられたのも極わずかな間だった。

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