メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トラキア(3)「ムスタファの結婚式での思い出」

ムスタファは、91年、イズミルに居た頃、「結婚するんだったら、やはりスカーフをしている敬虔な女性が好いですね。それに、外で僕が働くかわりに家の中の仕事は全て妻にやってもらいたいと思っています」なんてよく話していた。

それから2年後、ブルガスで結婚。今は二人の娘がいて、上の子はもう小学校に通っている。でも、どうやら彼の結婚願望の中で実現したのは、奥さんが専業主婦であるということぐらいだろう。

奥さんのところは、結婚前、彼女が一人娘で母親と二人暮らし。そこへムスタファが家電の修理に出かけて知り合ったという。結婚後も暫くはこの家で姑と同居していた。

この姑さん、でっぷり太っていて、またえらい貫禄、痩せてヒョロリとしたムスタファを完全に圧倒している。入り婿同然のムスタファは、私が訪ねて行くと、自分でお茶を入れたりして、家事を奥さんに任せきってはいないようだ。

結婚式も、ムスタファの両親がはるばるとアダナから出て来て、ブルガスの結婚式場で行なわれた。

トルコでは、庶民的な式場の場合、出席者にはお茶菓子と飲み物がほんの申しわけに配られ、後は音楽に合わせてひたすら皆で踊るだけ。私のように、ひどい音痴でリズムに合わせることも困難な人間にとって、これほど迷惑なものはない。

ムスタファの結婚式に出席した時も、『なんとか余り踊らされずに済めば良いが』と無事を祈るばかりだった。式が始まると、まずはテンポの速い民謡に合わせて、銘々勝手に一人で踊る。それから、これまた速いテンポで皆が輪になって踊るハライというのがあったりした後で、スローテンポの曲が流れ出し、照明が少し落とされると、いよいよ社交ダンス。

私はムスタファの両親の隣に陣取り、まず一人で踊る民謡は、「あなたも踊りませんか」と誘いに来る人達を断わってなんとかパス。ハライは輪の中で隣の人の真似をしてグルグル回っていれば済むので、一応参加。

社交ダンスになったところで、どうせ誘いに来る人もいないだろうと高を括って構えていたら、ムスタファの妹が父親に何やら耳打ちしてから私の前に立ち、「一緒に踊りましょう」。こんなことがあろうとは全く予期していなかったから、とにかく驚き茫然自失の態。なにしろ当時の私にとっては、社交ダンスの経験どころか、妙齢の女性とあのように体を密着させるなんてこと自体とんでもない話だった。顔をひきつらせて申し出を断わると、今度は隣に座っていたメフメットというムスタファの友人に申し込んだ。しかし、このメフメットも精悍な面構えに似合わずこういうのは苦手らしく、真っ赤な顔して逃げ出す始末。妹は憮然とした表情で立ち去った。

彼女とは、この後一度だけ会ったものの、殆ど無視されてしまった。まあ、当然のことなんだろう。ムスタファも、この件については以来全く触れようとしていない。

98年、4年ぶりにトルコへ舞い戻って来て、ブルガスにムスタファを訪ねると、「姉夫婦は義兄の転勤でビトゥリスへ行ったよ。妹は結婚してまだこの町にいるけど」と言う。私は、ひょっとしてメフメットと一緒になったなんてことはないだろうか、と思って訊いてみたけれど、「君と同じで、あいつもなかなか結婚しないんだ」と言われてしまった。

メフメットは、シリア国境に近いウルファ出身のクルド人である。代々の菓子屋で、ブルガス市内に「ハビブオウル」という店を持っている。ウルファやイスタンブールでも親戚が同じ商標の店を出しているらしい。

 

さて、今回の訪問では、ムスタファからも、クルックラーレリ県でのクルド人問題について意見を聞いたところ、「とんでもない話で絶対にあってはならない」という。ただ、ブルガスではまだ問題になっていないし、居住許可を与えないのは、貧困層流入を防ぐのが目的だから、メフメットのような人達は対象になっていないそうである。