メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

冷戦後の日本からトルコを読む(ザマン紙/イブラヒム・オズテュルク氏の論説)

2003年8月4日付けのザマン紙。マルマラ大学講師のイブラヒム・オズテュルク氏が寄稿した、冷戦後の日本とトルコの関係に関しての小論文を訳してみました。小泉首相靖国神社参拝についても触れられています。

 

****(以下拙訳)

第二次大戦後に構築された国際関係の中で、共に米国の同盟国であったトルコと日本にとって外交とはさほど難しいものでもなかった。少なくとも米国は真の同盟国であり、一晩で状況が変わってしまうようなリスクはなかった。

友邦と敵国ははっきりしていて、曖昧な部分はごく僅かなところに限られていた。そのうえ、トルコは大陸の交差点に位置することを、日本はアジアの特殊な戦略的要因を充分に利用することができた。

私はここで日本について語りながら、トルコの立場を理解してみたいと思う。

日本も戦後の特殊な状況を巧く利用することに努めた。終戦直後に米国が押し付けた「セーブル条約の日本版」から抜け出したばかりでなく、米国サイドから物質的な支援を受け、しかも、これはより重要なことだが、国際社会から同情と好意を得ることができた。

これにより、日本が産業大国として浮上する過程で使った経済政策、海外市場への攻撃的なやり方による進出も理解をもって受け入れられたと言える。つまり、日本は与えられた特殊な条件を巧みに使って努力することにより、これを恒久的な価値に高めたのである。

日本は、1900年代に軍事力で世界の大国に列せられたが、1980年以降は経済的な意味で同じく大国となった。その頃の日本は、「ナンバーワン」そして「ノーと言える」国であると見られていた。

しかし、政治および軍事的な力を背景としない経済力は余りにも脆く、1990年年代の初頭より日本は、この脆弱さに苦しんでいる。

日本に1864年頃与えられた役割と1945年以後のそれは微妙に似通っている。

前者で日本は、行き詰まった市場経済の中で、消費社会としてグローバル・キャピタリズムに門戸を開放し、中国がこれに続くはずだった。ところが、日本はアジアの植民地化を自らの手で実現してしまったのである。

戦後について言えば、欧米の市場となってしまうどころか、新重商主義的な保護政策により、逆に欧米の市場を席巻した。要するに、日本が米国を軸とする覆いの中に収まってしまったとは言えないのである。

しかし、冷戦の間、米国と同衾し力をつけた日本には、まるでシャムの双生児の如く米国と運命を共にしたような印象があり、これがこの国で心理的なレフレックスとして身についてしまったかに見える。

もちろん、自国の利益に関わる問題では、友好関係を墓場まで引きずる必要のないことを知っている政治家は日本にもいる。

ところが、ここ10年に亘る未曾有の不況とそれに伴う不安定な政治状況の中で、年毎に首相が変わる日本の現実を見れば、米国の影響下から音もなく抜け出そうというのは極めて困難なことに違いない。

但し、日本の国民が米国の政策に抵抗しようとしているのは明らかである。沖縄の米軍基地は、日本の国内隅々に抵抗の火種をともしている。

とはいえ、これは国民がそう望んでいるということに過ぎない。残念ながら、この困難な条件の下で、国をより穏やかな港へ導くことのできる政治家が日本には欠乏しているのである。

年功序列的なヒエラルキーの所為で、危機に際して指導層に政策の立案を促す起動力もなく、自ら解決策を生み出すことができない。

フォームとしては民主主義と市民社会が存在しているものの、精神の不在によりこれが有効に機能にしていない日本のシステムは、世界的な不況の中で陥った危機を乗り越える為に民衆からのフィード・バックを得られないでいる。

喩えるならば、民衆の乗っている車が坂道を滑り落ちているのに運転手は慌てふためくだけ、代わりに運転しようという勇気は誰にもないという状況だ。

民衆のレフレックスを失わせてしまった日本のシステムは、今や「聾者と唖者が互いにもてなし合う」劇を演じているのである。

日本が米国から独立することを好ましく思っている国がアジアには全く存在していないことも明らかである。

日本は冷戦の終結を自覚していない為、緊張の要因となる歴史上の追憶を消し去るということに関して首尾一貫した政策を取っていない。

オスマン帝国の軍楽隊のように二歩進んでは一歩退き、すっかり混乱していることが露呈している。これでは、近隣諸国から信頼を得ることも難しいだろう。

中東および中央アジアの優れた専門家である日本のササキ教授は、8月2日のザマン紙に掲載された論考で、トルコがこの数ヶ月に見せた外交姿勢を高く評価している。

米国に対して、トルコの存在価値を知らしめる力強いメッセージを伝えたばかりでなく、加盟を希望しているEUや中東の近隣諸国へも的確な発言を行ったことを評価し、日本はトルコから学ぶべきだと言うのである。

(訳注:ササキ教授は、中央アジア・中東専門家である「東京財団」の佐々木良昭元拓殖大学教授です。)

ササキ教授の主張は正しいと思う。小泉が首相になるや否や、戦犯として知られている人達の神殿「ヤスクニ」へ詣でたことが引き起こした憤慨は記憶に新しい。小泉氏自身はいったいどういうメッセージを伝えたと考えているのだろう。

私が思うに、投じた石は決して驚かそうとした蛙には当たっていない。皆が、不安のもとになるようなメッセージが自分に向けて送られたと感じたことだろう。

米国は、昔の精神を思い起こさせて独立への行動を呼びかけるこの態度に不安を感じた。

アジア諸国は、そもそも「灰の中に埋もれている、あの遺伝学的な暗号」が蘇ることを恐れている為、不安になった。

1998年に北朝鮮が“誤って”飛ばし、日本の上を通り越して太平洋に落下した、あの呪われたミサイル実験により驚愕した日本国民も、その無責任な行動から小泉を、充分な洞察力がないとして非難した。

日本を取り巻く内外の情勢は、米国からの独立を不可能にし、その流儀に従うことを余儀なくしている。

危機的な状況は正にここである。米国は、日本の周囲を、あたかも一人で立つことを不可能にするような形で取り囲んでいる。米国の運命が即ち日本にとっても運命であるかのようだ。

しかし、米国の運命が良くなることにより、日本のそれも良くなるとは限らない。というのも、米国の政策は、日本を選択肢から除外するばかりでなく、急速に対日依存から抜け出そうとしているからだ。

日本はそれにも関わらず、「袋から逃れる」為に中東へ派兵するのである。

しかし、この意味では何も恐れることはない。なぜなら、頭から袋をかぶせられる為には、先ず軍隊が必要だ。それが、時として「袋が兵隊に届かなかったら、兵隊が袋のあるところへ行く」ことになってしまう。

米国がアフガニスタンに続いてイラクでも勝利を収めれば、これは日本にとって大きな打撃となる。日本は市場での力を失うことになるだろう。

ササキ先生(原文でも"Sasaki Sensei")に、もう一言申し上げたい。

未だ自身の運命を自分でつかむことができないでいるトルコと日本が、お互いを発見し合って恒久的なパートナーとなることを期待するのは、時期尚早である。

時間と距離が意味をなさなくなった現代で、いまだに米国のとりなしによる近隣関係は、この程度に違いない。

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「袋から逃れる」という喩えの後に続く文章、ちょっと良く解りません。あるトルコ人学生は、「米国が、頭から袋をかぶせてしまおうとしているのはイラクのことであり、そこへ日本の兵隊が出かけて行く必要はない」という意味にとっていました。


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