メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トラキア(2)「ムスタファ、ムジャイとモスク巡り」

アダナ出身のムスタファが、ルレブルガス市に落ち着いたのは、92年ごろ、姉夫婦を頼って来た後、ここで結婚したからで、今は郊外の工場に技師として勤める傍ら市内の家電販売店でアルバイト的に働いている。ムジャイと疎遠になっているのは、宗教に対する意見の相違なんてわけじゃなくて、業務上の思惑が絡んでいるのかもしれない。お互い相手の店の様子を頻りと気にしていた。

ブルガスを初めて訪れたのは92年。その頃イスタンブールに居た私のところへムスタファから連絡があって、「姉さんの家でやっかいになっているんだけど、ムジャイも近くに住んでいるし、一度遊びに来ないか。一緒にムジャイのところへ行こう。それに、姉さんの旦那もとても良い人でお前に会いたがっている」。

ブルガスに到着してから電話を掛けると、ムスタファの妹だという女性が出て、「兄はちょっと買い物に行ったので私が迎えに行きます。今どちらですか?」と言う。信心深いムスタファの妹だから、『やっぱりスカーフはしているだろうなあ、どういう態度を取ったらいいんだ』と思案しながら待っていたところ、ジーパンにTシャツという出で立ちの現代風な娘が現われて、さっと握手を求められ、まずは当惑した。家に着くと、ムスタファはまだ帰っていないようで、姉夫婦に迎えられたけれど、このお姉さんがまたモダンな感じだ。近くの病院で看護婦をしていて、その日は当直であるため、挨拶を済ませると慌ただしく出掛けて行った。

ムスタファの義兄もアダナ出身。職業軍人で、ブルガスは当時の勤務地だったのである。とにかく陽気でよくしゃべる人。夕食が始まる頃には、もう随分前から知り合っていたような感じにさせられた。ムスタファともお互いに冗談を言い合って、義兄弟という関係以上に親しげな雰囲気だった。

ところが、夕食後、ムスタファが、また何か買いに出かけたのを見計らって、この義兄が、急に改まった態度で、「二人きりでちょっと話したいことがある」と言い出した。何事かと思っていると、

「すみません、あなたが明日ムスタファの友人に会いに行くと聞いたので、ちょっと気になっています。その友人は一体どんな人でしょうか。問題の無い人だと良いんですが」

「えっ、何を仰るんですか。彼のことは良く知っていますが、何の問題もありませんよ」

「そうですか、私はその人が、外国人であるあなたに迷惑をかけるようなことがあっては困ると心配なんです」

「何を心配されているのか良く解りませんが、どういう人だと困るんでしょうか?」

すると彼は、ちょっと言い難そうに、「なんでもムスタファの友人という話ですから、もしやこういう人では」と、手の平を開いて耳のところへあてるイスラムのお祈りのような仕草をする。

「それでは、ムスタファも問題のある人間だということですか?」

「いえ、とんでもない。ムスタファは良い人間ですが、彼の周囲にはちょっと問題のある人物もいると思うんですよ」

「まあ、それなら心配しないで下さい。明日会う友人は、あなた並に信仰の無い男ですから」

ここまで言うと、彼はやっと笑顔になり、それでも「本当でしょうねえ?」と念を押すのだった。

敬虔なムスリムが外国人に迷惑をかける、というこの発想はどこから出て来るのだろう? 何もムスタファの義兄に限らず、こんなことを言う人がトルコでは少なくない。

さて、その翌日は、予定通りムスタファと一緒に、エディルネ市内で親戚のアパートに住んでいたムジャイを訪ねた。

エディルネは、コンスタンティノープル陥落以前、オスマン朝の都であった古い町。名高いセリミエ・モスクをはじめ、歴史的なモスクが数多く見られる。

 

そのため、この日は3人でひたすらモスク巡りだった。敬虔なムスタファは、ムスリムがモスクへ入る前に義務づけられているアプテスという手足等を洗う清めの作法をモスク毎に必ず実践。こうしてアプテスを行なうと、礼拝をしないわけにはいかないらしく、行く先々のモスクで何度も礼拝することになる。

一方、生まれてこのかた礼拝など一度もしたことがないムジャイは、清めもへったくれもなく、そのままずかずかモスクへ上がり込んで、礼拝するムスタファを尻目に私の案内役を務めた。あるモスクでは、白い顎鬚を生やした如何にも敬虔そうな身なりの管理人らしき人を呼びとめて、

「お爺さん、このモスクは何時の建造なの?」

老人も、この不信心な若者に、愛想良く由来などを説明していた。最後に訪れたモスクで、相変わらず礼拝を繰り返すムスタファにムジャイは、

「おいムスタファ、いい加減にしなよ。さっきから何度お祈りすりゃ気が済むんだ」

「ほっといてくれムジャイ、僕は君に礼拝しろなんて言ってないだろう」

モスクを後にすると、ムスタファは、

「なあムジャイ、今日は色んなモスクを見物できて良かったんじゃないか。お前エディルネに居たって、殆どモスクには来たことがなかったろう」

「うん、まったくだ。なかなか素晴らしい歴史的遺産を見ることができた。これはマコトが来てくれた御かげだよ。ムスタファ、お前もたくさんお祈りできて良かったなあ」

多くのイスラム国家では、異教徒がモスクへ立ち入ることさえむずかしいと聞いている。敬虔なムスリムと不信心なムスリム、それに無宗教者の和気あいあいとした珍道中。これはトルコ共和国政府が努力して来た政教分離政策の賜物なのだろうか?