メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ディヤルバクルの教会「平伏して祈る姿」

94年に、アナトリアの南東部、スリヤーニと言われるシリア正教徒のクリスチャンたちが住んでいるマルディン周辺やディヤルバクルを旅行した。
マルディンも歴史を感じさせる石造りの街並みが美しいところだが、さらに東へ50キロほど離れたミディヤットは、石造りの家々に細かい意匠が凝らしてあって真に美しい、さながら町全体が博物館のようである。
ミディヤットはこの辺りでも特にクリスチャンが多い町、近郊には大きな修道院(聖ガブリエル修道院)もあり、ここにはシリア正教の管区大司教が所在している。総主教座は、現在、シリアのダマスカスにあるが、オスマン帝国の時代はマルディンにあったそうだ。(聖ハナニヤ修道院“ダイル・アッ=ザアファラーン”)
彼らの間で今も通用するスリヤーニ語は、イエス・キリストが話していたアラム語に近いといわれ、独自の文字があり、彼らが読む聖書はその文字によって書かれている。
ミディヤットで見たスリヤーニの人達だが、クリスチャンとはいえ、外見上その風俗は周囲の保守的なムスリムとそれほど違っていたようにも思えない。年配の女性はムスリムと同じようにスカーフを被っていた。教会には長椅子が置かれていて、一見、見なれた教会と同じ雰囲気ではあるものの、女性の信者が一番後ろの柵によって仕切られた場所で礼拝するところなどは、ちょっとモスクに近いものを感じさせる。聞いたところによると、東欧ボスニアのモスクでは、男女が左右に別れるだけで横にならんで礼拝をするそうだから、これは、宗教の違いと言うより、地域における風俗の違いなのかもしれない。
次に訪れたディヤルバクルでは、以前かなり住んで居たクリスチャンも、近年になってめっきり減ってしまい、ミサを執り行っている教会は今や2箇所ぐらいという話だった。
迷路のような路地裏を歩き回ったあげくやっと探し当てた教会。壁には、幼いイエスを抱くマリアの絵が画かれ、教会であることに間違いはない。静かに扉を開けて中を覗いて見ると、長椅子もなく、絨毯だけが敷かれている祭壇の前で、数人の信者がムスリムのように床へ平伏していた。『あれっ待てよ、ここは本当に教会だったのかな?』と思ったのも束の間、信者の人達はやおら立ち上がって、今度は胸に十字を切る。そして礼拝が終るまで、この動作が何度となく繰り返されたのである。
礼拝が終ると、ひとりの青年が近付いてきて、「あなた、イズミルのエーゲ大学でトルコ語習っていませんでしたか?」と言う。そうだと答えると、
「やはりそうでしたか。私のことは憶えていらっしゃらないと思いますが、英文科にいたフィクレットを知ってますよね」
「あのムスリムからクリスチャンに改宗したフィクレットですか?」
「ええ、そうです。エーゲ大学ではフィクレットと一緒に何度かあなたともお会いしました。私は大学を卒業して軍役についているんですが、今は休暇をもらって帰省中なんです」
「すみません。あなたのことはすっかり忘れてしまっていたんですが、あなたはスリヤーニだったのですか?」
「いや、私はアルメニア人です。ディヤルバクルにも以前はアルメニア教会がありました。今もあるにはあるんですが、アルメニア人は数世帯しか残っていないので、ミサが行なえるようにはなっていません」
現在はアメリカに留学中のフィクレットだが、その当時はイスタンブールでしょっちゅう会っていたから、私もこのアルメニア人の彼に、フィクレットの近況を伝えたりして、偶然の出会いを喜び合った。
それから、聖職者と思しき中年の男性とも話す機会があったので、気になっていた礼拝の仕方について、「あれは周囲のムスリムから影響を受けたんでしょうか」と訊いてみると、
「そんなことあるわけありません。だって我々の教えの方が古いでしょう。礼拝の仕方は彼らが我々の真似をしたのです」と言う。
しかしこの時は、そんな答えに納得するはずもなく、やっぱりムスリムの影響だろう、なんて思っていた。それが、ついこの前、「戦争と平和」を読んでいると(もちろん日本語で)、「祈る時、額が床へつかんばかりになる」というような表現が度々出てきたので、あのディヤルバクルでの礼拝風景が思い出され、『待てよ、ロシア正教の教会には椅子も置かれていなかったし、一体彼らはどうやって祈っているのか』と気になった。それで、先週の日曜日、ロシア教会へちょっと早めに出掛け、礼拝の様子を窓から覗かせてもらった。すると確かに、ときおり女性の信者が床にひざまずいて、平伏すとまではいかないまでも、ほとんど額を床までつけるようにして祈っている光景を目にすることができた。
ディヤルバクルの教会では、もっと完全に平伏していたような印象なのだが、こんな記憶は結構いい加減なところも多いだろう。もう一度行って見た方がいいかもしれない。別に、礼拝の仕方はどちらが元祖かなんてことではなく、ちょっと確かめてみたい気がする。

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