メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イラン人の教会「ペルシャ語によるミサ」

イラン人の集まる教会というのを一度見て置こうと、出かけてみた。イラン人の知り合いから聞いていたのは、ベヤズィットのイスタンブール大学正門近くの教会である。

 土曜日の夕方、下見に行くと、教会の入口には「アルメニア聖書教会」と書かれていて、どうやら元来はアルメニア系のプロテスタント教会らしい。中に入って管理人のおじさんから案内を求めると、この人はモルドバから来たガガウズトルコ人だった。日曜日の午前中のミサはトルコ語で行なわれ、集まるのはアルメニア人やガガウズ人が多く、夕方になってからイラン人のためにペルシャ語のミサがあると説明してくれた。
翌朝、10時頃に行って見ると、ミサは既に始まっていて、濃い口ひげをたくわえたアラブ的風貌の中年牧師がトルコ語で説教の最中だった。トルコでは、アッラーの他に神を表す言葉としてタンルという固有のトルコ語を使ったりもするが、この牧師さんはアラーを多用する。他の宗教用語も大概ムスリムと同じものを使うので、ちょっと聞いただけでは、どの宗教の説教をしているのか良く解らない。
賛美歌を歌う段になると、ギターを抱えた若い女性が前に出て音頭を取る。歌は殆どがポップ調で、アナトリア風の調子は現われなかった。
ミサの後、お茶会になってから、周りの人たちに色々訊いて見た。なかなか押し出しの良い中年の男性は、「アルメニア系のトルコ人」と自己紹介した。牧師さんもアルメニア系だそうである。それまでに出会ったアルメニア人の多くは、「私はトルコ人ではありません。アルメニア人です」と話していたので、ちょっと意外な感じがした。「アルメニア正教の教会へは行かないのですか?」と訊いたところ、
「私はシバスの生まれで、アルメニア語は解りません。アルメニア人学校はイスタンブールにしかないので、地方ではアルメニア人としての教育を受けることはできなかったのです。近くには正教の教会もなく、身分証明書にクリスチャンと書かれているだけで、以前はクリスチャンという自覚もありませんでした」
「この教会へはどうやって来るようになったんですか?」
「妻も私と同様に地方出身のアルメニア人なんですが、彼女が先に教会へ通い始めました。でも最初、教会へ行ってるという話を聞いた時は驚きました。なにしろそれまでは、余り宗教に熱心な連中は皆原理主義者のように思っていましたから、何かいかがわしい教団にでも勧誘されたんではないかと妻を疑ってしまったほどです」
イスタンブールはベイオールにあるアルメニア正教の教会で知り合った、やはり地方の出身である初老のアルメニア人から聞いたところによると、彼が生まれた頃、イスタンブールでもない限りアルメニア人としてのアイデンティティーを認めてもらうのは難しく、彼の場合、やっとのことで身分証明書にクリスチャンと書き込むまではできたものの、姓名はトルコ風のものを余儀なくされたそうだ。
南東部のビトゥリスを旅行した際には、土地の人たちから教会村と名づけられた、言わば「隠れキリシタン」のアルメニア人が住む村の存在を聞かされた。カイセリでは、アルメニア人が去った後の崩れかかった家々がそのままになった街区を見たこともある。その初老のアルメニア人もトルコ語しか話せなかったが、自分がトルコ人であるということなどは絶対に認めたくない様子だった。
しかし「アルメニア聖書教会」には、ガガウズトルコ人ムスリムから改宗したトルコ人も来ていたので、ここではアルメニア人も自分達を「アルメニアトルコ人」と意識するようになったのかもしれない。
ガガウズ人の男性には、なぜロシア正教の教会へ行かないのか訊いてみた。彼によれば、正教の信仰は真摯なものではないそうである。
「正教の教会へは娼婦も祈りに来るんですよ。もちろん、『そんなのはクリスチャンではない』とは言いません。悔い改めることができます。でもね、彼女たちは日曜に教会で祈って、翌日から同じ仕事をして、また日曜になると祈りに来る、それの繰り返しです。これじゃあいけません」
モルドバにもプロテスタントの教会はあるんですか?」
モルドバでもロシアでもプロテスタントになる人は増えているんですよ」
「正教徒の人たちとの間で問題がおきたりはしませんか?」
「正教の聖職者たちが、プロテスタントの教会へは行かないようにと呼びかけているくらいで大きな問題にはなっていません」
他に、スリヤーニであるという青年も来ていて、「両親は今でもシリア正教の教会に行ってますが、私はプロテスタントになりました」と言う。
「シリア正教ではスリヤーニの人しか受け入れません。これっておかしいでしょう。本当は信仰だけが問題のはずです。ここに来ているムスリムから改宗した人たちの方が、よっぽど真面目に信仰と取り組んでいますよ」
ムスリムからの改宗は、欧米への移住を狙ってのことだとも言われている。イラン人について言えば、確かに難民申請の口実にしている者がかなりいるに違いない。しかし、トルコ人の場合、国内で堂々と改宗しているわけで、そうとは言いきれないような気もする。
ところで韓国では、韓国人ムスリムが4万人近く存在すると言われ、ソウルには立派なモスクもある。しかしこれ、殆どがその昔、サウジアラビア等へ出稼ぎに行く際、ビザの発給を容易にするためのものだったらしい。ソウルのモスク近くで「イスラム食堂」を経営するおばさんから聞いたのだが、最盛期には、ムスリムとして承認してもらうために来た人たちでモスクの前に行列ができるほどだったそうである。
イラン人ミサのために、その日は夕方になってから、また「アルメニア聖書教会」へ出直した。大概のイラン人たちがトルコ語を流暢に話し、女性もモダンな服装、街中で会えばトルコ人であると思ってしまいそうな感じだ。しかし、ミサが始まって「おやっ?」と思ったのは、男女がきれいに左右別れて座っていたのである。私は男の列の一番端に座っていたので、通路を挟んだ隣には若い女性がいて、彼女はジーパンにTシャツというなりで、目が合えば「ニコッ」と微笑むが、何か話掛けて来たりはしない。こういったところの感覚はトルコと大分違うようである。
ミサが始まると、まずは30歳ぐらいの女性が前に出て、テキストを手に何やら話すが、もちろんペルシャ語なので何を言っているのか全く解らない。ただ頻繁に「ホダー」という単語が聞き取れる。これがペルシャ語で神を意味することは知っていた。イラン人はムスリムでも神をアッラーアラビア語では言わず、ペルシャ語でホダーというらしい。この辺は古い歴史と伝統を持つイラン人の矜持なのだろうか。
牧師は40歳ぐらいの人、スーツ姿で説教台に立つ。後で聞いたところによると、彼が牧師としての教育を受けた英国にある学校は、運営もイラン人によるものだそうである。改宗するイラン人は想像以上に多いのかもしれない。
でも、なんと言っても一番驚いたのは、賛美歌を歌う場面。あの30歳ぐらいの女性、なかなか美人だが、ちょっときつい感じのする彼女がタンバリンでリズムを取りながら先導、牧師さんがエレクトーンで伴奏を努める。曲は、やはりポップ調のものが殆どで、歌詞はもちろんペルシャ語。タンバリンでリズムを取る彼女の胸元がユサユサ揺れるのも見応えあったが、とにかく皆の乗り方が凄くて、どこかのコンサート会場に紛れ込んでしまったのではないかと錯覚するような雰囲気だった。トルコ人の場合、この教会の朝のミサでも、カドゥキョイのトルコ人教会でも、何人か手拍子を取る人が出るくらいで、おとなしいものである。それが、イランの人たちは歌う声も大きいし、隣の娘などは完全に踊っていた。イラン人はトルコ人より遥かに熱情的なようである。

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