メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イズミル(1)「キョフテ屋のケマル・パシャ」

2001年の夏、クズルック村工場の夏休みを利用してイズミルを訪れた。イズミルは、91年に初めてトルコへやって来て、一年ほど滞在した思い出深い街である。

 

99年にも半年近く居たことがあり、その時は写真現像機やらカラオケ機の販売に携わっていた韓国人チェさんのところで厄介になっていた。このチェさんと知り合ったのは、やはり韓国人で、91年来の友人であるドンギョン氏から紹介されたからだ。

ドンギョン氏は、91年に、新婚早々、韓国から夫人を伴ってトルコへ来て以来、イズミルで輸入業を営んでいる。彼のところへはイズミルに居た頃も何度となく泊まり込んでいて世話になりっぱなしだった。今回も当たり前のように一泊させてもらった。

91年には、15世帯ぐらい住んでいたイズミルの韓国人も年々減って来て、現在は7世帯ほどらしい。スルタン・キムはもう随分前に韓国へ帰ってしまい、養鶏場を経営して羽振りの良かったおじさんも、その養鶏場が暴風雨で全滅してしまったとかで、文字通り尾羽打ち枯らしてしまったようである。しかしこのおじさん、トルコ人と結婚して既にトルコ国民となっているので、事情はどうあれ今更韓国へは帰れないのかもしれない。

ドンギョン氏のところも、トルコで深刻さを増す不況の影響を受けて楽なはずはないが、なにしろトルコ滞在10年にして4人も子供が出来てしまったという大所帯で、とにかく賑やか。長男と次男は近所にある普通の小学校に通っていて、もう韓国系トルコ人といった雰囲気である。先日は二人そろって割礼を済ましたそうだ。

「あの割礼って、イスラムの儀式に則ってやったんですか?」

「私たちはクリスチャンですよ。宗教的な意味はありませんが、なんでも健康に良いという話ですからね。それなら、やっておいた方がいいんじゃないかと思いました」

ムスリムの人たちによると、割礼はともかく断食も健康に良いことになっているが、どういう根拠があってのことか良く解らない。

他国から来た人たちを余り抵抗無く受け入れてしまうトルコの社会に、彼らもすんなりと入り込んでしまったような感じである。それでいて勿論、毎食にキムチを欠かさない純然たる韓国人の生活をしているわけだが、ドンギョン氏は味覚の面でもなかなか開けている。トルコ料理も方々食べ歩いているので、彼が薦めるレストランだったらまず間違いない。

99年、イズミルに居た頃、彼から教えてもらったキョフテ(トルコ風ハンバーグ)の専門店へは、よく出かけたものだ。その店、キョフテの味は今ひとつなのだが、食後に出てくるケマル・パシャというお菓子にひと工夫凝らしていた。

ケマル・パシャとは、小さな丸いパンのようなものを蜜に浸しただけの簡単な菓子である。この店では、それに生クリームを載せ、ターヒンという胡麻をすりつぶしたペーストをかけて出す。この菓子がなんとも言えず美味く、これを目当てに車で乗り付ける遠来の客までいてえらく繁盛していた。

不思議に思ったのは、当時イズミルケマル・パシャをこうやって出す店が他になかったことである。トルコ人の知り合いに理由を訊いてみたら、「他の店の連中は、真似するのがみっともないとでも思っているのではないか」と言う。『これじゃあ、この国が資本主義経済でやっていくのも並大抵のことではないなあ』と思った。

さて、今回の旅行中、トンギョン氏にまた新しいキョフテ屋へ連れて行かれた。

「どうです。ここのキョフテはなかなか美味いと思いますよ。この辺じゃ一番でしょう。ただケマル・パシャはあのキョフテ屋に負けてしまいます」

「店の人に、クリームとターヒンをかけるように言ってみたらどうですか?」

「まあ、今お菓子が出て来るからちょっと見てくださいよ」

出されたケマル・パシャを見ると、ちゃんとクリームにターヒンがかけてあって、おまけにクルミの刻んだのまでまぶしてある。

「最近はどこでもこうやって出すようになったんですよ。でも、味はどうも元祖に及びませんねえ」

どうやら、真似するのが嫌だ、というわけじゃなくて単に反応が遅かっただけのようだけれど、それにしても鈍過ぎる。やはり、これでは競争力がなかなかついてこないかもしれない。ともかくひとつ味わって見たところ、確かに元祖に比べて格段の差が明らかだ。

クルミをまぶしてあるのがまずいんじゃないでしょうか?」

「いや、ケマル・パシャ自体に問題があるんだと思いますよ。どの店も元祖の味が再現できないんですね。簡単なお菓子のように見えますが不思議なもんです」

なるほど、この店では、どうも元祖の味が出ないんでクルミをまぶしてみたりと色々工夫を凝らしたことが窺える。これなら、競争力云々と心配する必要もないようである。