メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

オスマンベイのボレッキ屋

オスマンベイのキムさんの事務所は、アパートの2部屋を利用したもので、もうひとつの部屋は私の住居だった。もちろんキッチンもついていたが、朝食はいつも2軒先にある「ボレッキ」の店で済ませていた。
ボレッキというのは、チーズやらひき肉の入っているパイのようなものだが、中までパリパリに焼けてなくて少し柔らかくなっているのが特徴。この店でも、定番のチーズ入り、ひき肉入り、ほうれん草入り、それに粉砂糖をかけて食べる中身の入っていないサーデ(純)が、朝のメニューだった。店は6人も入れば一杯なので、殆どがテイクアウトで、近所に配達もしていた。
この手の店は、大概むさくるしい兄貴やおじさんが店番しているけれど、この店の場合、蝶ネクタイなんかして垢抜けた感じの若い兄弟が、愛想良く、ボレッキを切ったり、お茶入れたりとサービスに努め、これまたモダンな雰囲気の綺麗な妹さんがレジを打っていて、大分様子が違う。毎朝7時に店を開け、夕方は6時ぐらいまで営業。朝はテイクアウトを求めるお客で長蛇の列ができるほどで、なかなかの繁盛ぶりだった。
ある晩、12時ぐらいになって店の前を通ると、まだ明かりがついていたので、ちょっと中を覗いて見たら、弟のムラットがいる。
「あれっ、こんな時間までどうしたんですか?」
「これから、ボレッキの仕込みをしないといけないんですよ」
「まさか、毎日こうやって夜中も働いているの?」
「ここんところは、ずっと兄貴と交代で徹夜しています。今来てくれる職人がいないもんで仕方ありません」
「でも大変でしょう?」
「いや、これぐらいへっちゃらです。御存知のように我々トルコ人はとても勤勉にできていますからね」
まあ、彼らのような自営業者の中には、こんな風に頑張っている人たちが結構いるのかも知れない。
それからも、夜ムラットとこうして話す機会が何度かあった。私は彼らのことを、そのさばけた様子から、もともとイスタンブールの人かと思っていたのだが、出身地を訊いてみたところ、「ビンギョル」と言う。
「えっ、ビンギョル。それじゃあ、あなた方はクルド人なの?」
「もちろん。こういうボレッキの店をやっているのは大概クルド人ですよ。知らなかったんですか? 店に来るお客さんでも、サーデをクルドボレッキって注文する人がいるくらいで、ああいうボレッキは我々に特有なものなんです」
イスタンブールへは、いつ出て来ました?」
「12年前で、僕は11歳でした」
「時々、田舎へ帰ることもあるのかな?」
「一度もありません。帰ったところで、もう私達の村は残っていないんですよ。PKKのことは知ってますよね? ああいう事態になって、結局村は放棄されました」
「今でも危険な状態?」
「そんなことはないみたいですね。親戚の中には向こうへ行って来た人達もいます」
「それじゃあ、あなたも行って見たいでしょう。懐かしくはありませんか?」
「懐かしいって? 何も無いつまらないところですよ。誰がそんなところへ用もないのに、わざわざ出掛けるんですか? お金があって暇があれば、アンタルヤとかボドルム(どちらも地中海沿岸のリゾート地)に行きたくなるのが当たり前です。あなた、行ったことあります? 好いですよアンタルヤは」
どうも、ちょっと成功したトルコの人達にとって、夏の休暇をアンタルヤで過ごすというのが、とても魅力的なようである。ロシア教会で知り合ったディヤルバクル出身のゼキさんも、
「ロシアの人達は可哀想ですよ。あんなに広い国土があっても、アンタルヤみたいなところはありませんからね」と話していた。
ここで、ディヤルバクルみたいなところ、という風にはならないようだ。トルコの人達が故郷を思うのは、そこに近縁の人がいる場合に限られているようで、日本人の持つ故郷へのこだわりとは、大分隔たりがあるような感じもする。このあたりは、農耕民族と騎馬民族の違いなのかもしれない。

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