メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ギリシャ語を話すトラブゾンの人々

2004年のいつ頃だったかギリシャへ出掛けた際、帰りのバスで、トルコ語ギリシャ語を話す青年に会いました。

国境のギリシャ側の免税店で、青年が両方の言語を使い分けている様子を見て、ルームと呼ばれるトルコ国籍の正教徒ギリシャ人か、さもなければトラキア地方に多いギリシャ国籍のムスリムトルコ人だろうと思いながら、話しかけてみたところ、“黒海地方トラブゾン県出身のトルコ人”であることが解って驚かされました。

この青年は最初にヨルゴスというギリシャ正教徒名を名乗り、それから「私たちの村はもともとギリシャ人の村だったのが、改宗してムスリムトルコ人となり、私の身分証明書にも“ユルマズ”というトルコ名が記載されています」と説明したのです。これを横で聞いていた初老のトルコ人は、「私もトラブゾンの出身だが、近くにギリシャ語を話す村があったことを覚えている」と言ってました。

行きのバスで隣に座っていた正教徒の老人も、トラブゾンに生まれてイスタンブールで育ち、若い頃にトルコを離れてアテネに移住したと話していたから、「トラブゾンにはギリシャ語を話す人たちも少なくないようだ」と興味深く思ったものです。

それから、イスタンブールへ戻った数日後、市内で「黒海地方の観光資源」という講演会があったので参加したところ、講師の先生は大柄で厳しい感じがする60歳ぐらいの男性であり、南東部のクルド人地域であるディヤルバクルの出身と言い、講演の中で「私の故郷ディヤルバクルには緑が少なかったから、緑に覆われた黒海地方を初めて訪れた時はその美しさに感動したものだ」と語っていました。

講演が終った後のお茶会では、この先生と雑談する機会に恵まれたので、“黒海地方トラブゾン県出身でヨルゴスと名乗る青年”について話してみると、先生はその厳しい顔をさらに険しくさせて、「何がヨルゴスだ。この国の水を飲み、この国で糧を得ていながら、ヨルゴスなんて言うな。ユルマズでたくさんだ。そういう問題は、共和国初期にギリシャとの間で行なわれた住民交換でけりがついている」と凄い剣幕。そのあとに『ところで先生はクルド語を御存知ですか?』と訊こうとしたのだけれど、とても訊けるような雰囲気じゃありませんでした。

また数日して、今度は、ディヤルバクル出身でクルド語を母語とする友人に会ったので、講演会での出来事まで含めて“ヨルゴスと名乗る青年”の話をしたところ、いつも外国人には自分のことを「クルド人エスニック・ルーツとするトルコ人」と自己紹介しているこの敬虔なムスリムの友人は、「僕は自分が小学校にあがるまでトルコ語を知らなかったくらいだから、様々な言語の価値を認めているし、敬虔なムスリムだからこそ、他の宗教にも敬意を持っているよ。その青年がヨルゴスと名乗りたいのであれば、それで良いんじゃないかな」と理解を示し、「講演会の先生は過激な民族主義者みたいだけれど、いったい何処の人なんだ?」と訊くから、「君と同じディヤルバクルの出身だよ」と答えたら、「うわっ、それならルーツはクルド人じゃないか」と嫌な顔をしていました。

その後、年が明けた2005年の初春、「昨年、ギリシャから戻るバスの中で会った」というトルコ人から電話が掛かってきたので会ってみると、確かにバスの中で隣り合わせになった青年です。バスの中では、「トラブゾンの出身で、今はブルサで公務員として働いている。休暇を利用して良くギリシャへ行くことがある」といったような話しか聞かなかったけれど、今度はお茶を飲んでゆっくり雑談したら、驚いたことに彼の村でもギリシャ語を話しているそうで、それからまた数ヶ月後に会った時には、同じ村の出身者3人を引き合わせてくれました。

この時、彼らにも“トラブゾン出身のヨルゴスとディヤルバクルの先生”について話してみたところ、彼らの反応はディヤルバクル出身の友人と異なり、「話し方にもよるだろうけれど、その先生の言ってることは正しいと思いますね」と先生の肩を持ち、「僕らはギリシャ人をルーツとしているけれど、あくまでもトルコ人であり、それほど敬虔とは言えないものの一応ムスリムなんですよ。確かに僕らの村も、それほど遠くない父祖の時代に改宗したようです。でも僕らにとって既に宗教はそれほど重要なことじゃないから、わざわざ正教徒風にヨルゴスと名乗ってみる人が何を考えているのか良く解らない。僕らの村では、ルーツがギリシャ人であることから不都合が生じたとか嫌な目に合ったという話も聞いていません」と明らかにしていました。

彼らの中には、イスタンブール市内の高校で美術の先生をしている人もいて、彼はトルコの美術について色々語ってくれたのですが、中央アジアから受けた影響を説明する際、「我々トルコ人中央アジアからもたらした」という言い方をしたので、「でも、貴方たちの父祖は中央アジアから来たわけじゃないでしょう?」と口を挟んだら、「そんなことは承知していますよ。我々の父祖はおそらく大昔からトラブゾンにいたんでしょう。しかし、僕らはトルコ人としてその文化を共有しているはずです」とあっさり切り返されてしまいました。

これは良く解らないけれど、例えば、ロシア系のアメリカ人が、英国から受け継がれたアングロサクソンの文化を、自分たちの文化として語るのと同じことなのかもしれません。