メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

飲酒と同性愛

《2013年6月23日付け記事を修正して再録》

2009年、アルトヴィン県で知り合ったメフメットさんの家族は、夕食に夫婦揃って子供たちの前で酒を飲んでいた。それどころか、共産主義者を自称する高校生の娘もビールを口にしていた。

このため、私は、メフメットさん夫婦にも、ある程度、左派的な傾向があるのかと思っていたけれど、3年後(2012年)にアイドゥンで再会して、これが誤解であると気づかされた。メフメットさんは、MHPの支持者であり、どちらかと言えば右寄りだったのだ。

「うちはメンデレス以来の中道右派だよ。社会主義に憧れたことなんて一度もない。私はそれほどでもないが、妻はたまに礼拝もしている。娘がどうやって共産主義者になったのか私も解らない。学校にそういう友達でもいたんじゃないのか? だからと言って別に共産主義はいけないとか干渉もしていないが・・・」

どうやら、メフメットさん夫婦が平気で酒を嗜むのは、政治的な傾向の表れでも何でもなく、生まれ育った(奥さんも育ちはアイドゥン)エーゲ海地方で、周囲の人たちが当たり前に酒を飲んでいたかららしい。

ところが、無宗教を自認する左派で、イスラムを激しく嫌う友人某は、居酒屋などで私たちと一緒に飲んでも、奥さんや娘の前では決して飲まない。家でも飲むことはないそうだ。

こちらは夫婦共に保守的な地域の出身。奥さんも左派だから、酒を全く口にしないわけじゃないらしいが、娘の前で飲まないのは、結局、飲酒を悪習だと思っているのではないか? それなら無理して飲まなければ良いのに・・・。彼が酒を飲むのは、単なる政治的なポーズであるかもしれない。

クリスチャンもプロテスタントは、おそらく飲酒を良い習慣と認めていない。なにしろアメリカには禁酒法の時代があったくらいだ。

酔っ払うまで飲むことが許され、飲酒が伝統的な良俗として認められているのは、日本や韓国、中国ぐらいじゃないだろうか?

高校同期の友人は、飲みながら、こう言って私に絡んだ。「おい、お前は酒を飲まない奴の言ってることが信じられるのか?」。

これはトルコだったら、「お前はアッラーを信じない人間の言ってることが信じられるのか?」となるに違いない。

こうして見ると、我々日本人にとって飲酒とは、伝統的な良俗どころか、既に“信仰”の領域に入っているかもしれない。 我々は“信仰の自由”を守るためにも“飲酒の規制”には反対しなければならないだろう。

しかし、今のところ、トルコで飲酒が規制される兆候はないから、心配しなくても良さそうだ。2013年に話題になったのは、“酒類販売の規制”であって“飲酒の規制”ではない。

「外で飲んではならない」とか「宗教施設に100m以内の飲食店で酒は提供できない」という条項はあったが、居酒屋等の外の席は除外されたし、歴史的な文化とか何とか、殆どこじつけとしか思えない理由で、教会の隣の“チチェク・パッサージ”などで酒の提供は認められた。ついでに、「日本人が酔っ払っているのは彼らの信仰の証しである」と書き添えてくれたら良かった。

トルコでは、“酒類販売の規制”に反対していた人たちも、その多くは“酔っ払い”を嫌がる。まったく、「酔っ払うのが嫌だったらアイラン(ヨーグルトを薄めた飲み物)でも飲んでろ!」と言いたい。(エルドアン大統領は『酒でなくアイランを飲めば良い』とか言って猛反発を受けていた)

それから、脱宗教を標榜する左派の中には、飲酒を近代化の証しであると思っている連中もいる。一部は、これに“同性愛”を加えたりする。

日本では、飲酒も同性愛も昔から当たり前に認められている自然な行為で、近代化などとは全く関係がない。この辺を良く理解してもらいたいと思う。

「飲酒は近代化の証し」とばかり、偉そうな顔して飲んでいるから、イスラムの信仰に篤い人々の反発を受ける。もう少し謙虚な態度で飲めば、何処からも文句は言われないだろう。

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