メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

助六の苦いビーフシチュー

《2013年12月25日付け記事を修正して再録》

うちでは、母が、1970年頃から2000年まで、神田駅の近くで雀荘を経営していた。もともと父がやっていたのを、私が小学校4年生の頃、母が引き継いだのである。
この雀荘の2軒先に、“助六”という洋食屋があった。この店は、いつ頃までやっていただろう? 82~3年ぐらいまではあったような気がする。
助六”というのも、随分洋食屋らしくない店名だが、確かに変わった洋食屋さんだった。カウンターだけの狭い店で、なにしろメニューは、“ビーフシチュー”と“ハヤシライス”しかなかった。もっと昔は“オックステールシチュー”もやっていたそうだが・・・。
この店に初めて連れて行ってもらったのは、多分、小学校高学年になってからじゃないかと思う。
父は「子供の解る味じゃない」と言い、小さい頃は連れて行ってくれなかった。シチューもハヤシも、ルーがもの凄く苦くて、子供にはとても食べられないというのである。
店の親爺さんは、頑固で怒りっぽく、知らない客が来て、「苦い!」なんて文句を言おうものなら、「代金はいらねえから、とっとと出て行きやがれ!」と怒鳴りつけたそうだ。
父から、そういう話を何度も聞き、「苦いなんて言ったら、親爺さんにフライパンで頭叩かれるぞ」と散々脅かされながら、連れて行ってもらったので、初めてこの店のビーフシチューを食べた時は、随分緊張したのを覚えている。

でも、恐々シチューを食べていたら、カウンターの向こうで、親爺さんが「僕、苦かないか?」と微笑んだ。これも良く覚えている。
ビーフシチューは、真っ黒いルーの中に、とろとろに煮込まれた牛肉の塊が一つだか二つ入っているだけで、他には何も入っていない。付け合せに茹でたキャベツが付いて来たと記憶している。
ルーは、小麦粉をとにかく真っ黒になるまで焦がして作る。親爺さんは、昔、外国航路の商船のコックをやっていて、何処か西洋の港に寄港した際、この調理法を習得したらしい。(これはかなり眉唾・・)
“ハヤシライス”は、まず豚肉の細切れと豚マメ、そして玉葱をフライパンで炒め、これにあの真っ黒いルーを加える。親爺さんは、もうかなりの年寄りで、狭いカウンターの調理場で、背中を向こうの壁にもたれかけるようにしてフライパンを動かしていた。
親爺さんが亡くなって、暫く店は休業していたが、常連のお客さんたちが未亡人を担ぎ出して、再開させた。

私は、成人してからも何度か食べに行った記憶があるから、83年ぐらいまではやっていたんじゃないかと思うが、ちょっと自信がない。結局、未亡人の方も隠居したら、後を継ぐ人がいなくて、“助六”は閉店してしまった。
あのシチューとハヤシは、もの凄く苦かったけれど、その味に慣れると、不思議なくらい美味しく感じられた。今でも懐かしいくらいである。
おそらく、ハヤシの場合、あの苦味が豚マメの臭みを消して、ちょうど良い味になっていたのだろう。

シチューも、バラ肉のような脂身の多い牛肉が使われていて、脂がとろっと口の中で溶けるところが美味かったように思い出すが、あれも苦味が脂のくどさを巧く中和させていたのかもしれない。
何処かあの味を再現してくれる店はないものだろうか?

写真は姫路のレストランで食べたビーフシチュー