メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「韓国人の血」

《2008年9月29日付けの記事を修正して再録》   

1989年、韓国の会社の東京支社で働いていた頃の話である。

来日した本社の連中と取引先を回ってから、上野駅近くのホテルに案内したところ、「まあ貴方も一杯やっていきなさい」と誘われた。そして、5~6人の一行全員と私が一部屋に集まり、車座になって酒盛りを始めた。

既に夜の10時ぐらいだったので、まさしくほんの一杯のつもりでいたけれど、直ぐに「取引先の態度が悪い。あれは韓国を見下しているんじゃないか」と言われて議論になり、なかなか帰れなくなってしまった。

当初、私は何とか誤解を解いてもらおうと穏やかに論じていたが、そのうち「君はいったいどちらの立場にいるんだ? 同じ日本人だから取引先の味方をするのか?」などと言い出したため、議論は次第に激しさを増して行った。

お決まりの「歴史認識」「日帝36年」に話が及んで、あっという間に時間は過ぎ、文禄慶長の役まで持ち出そうとする連中の余りに無茶苦茶な「歴史認識」に思わずこちらも声を荒らげ、結局、深夜の3時頃まで、ああでもないこうでもないと罵り合った挙句、何一つ解り合えないまま、お互いに疲れ果てて喧嘩別れとなった。

「明朝8時にまた迎えに来ます」と言い残し、プリプリしながらホテルを後にしたけれど、タクシー使って帰るのも馬鹿馬鹿しく、ホテルの100mほど先にあったサウナに入って夜を明かすことにした。

しかし、このサウナがまた信じられないくらい小汚い所で、湯に入る気にもなれず、簡単にシャワーだけ浴びると、カウンター近くの汚いリクライニングに寝転んで、うつらうつらと一眠りして、朝7時にはそこを飛び出し、喫茶店で不味そうにモーニングを食べ、ムカムカしながらホテルへ連中を迎えに行った。

ところが、ロビーで私を待ち構えていた連中は、皆嬉しそうな笑顔で一人一人が握手を求めて来たのである。

「いやあ、貴方は楽しい人ですねえ。きっと貴方には韓国人の血が流れていますよ。ご両親のどちらかが韓国人じゃありませんか?」

「いいえ、両親とも日本人です」

「それでは、お祖父さんかお祖母さんあたりに韓国人はいませんか?」

「いいえ、少なくとも明治以降、親族に韓国人がいたという話は聞いていません」

「でも、きっと貴方には韓国人の血が流れているはずです。あんなに青筋立てて怒るのは、それ以外に考えられません」

まあ、この一件でこの人たちとは真の友人同士になったような気がする。あれは韓国の人たちと心から親しくなるために必要な一種の儀式だったのかもしれない。しかし、本当に疲れる儀式だと思った。