メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

コロナと宗教?

先週の土曜日、トルコのイズミルに住んでいる韓国人の友人から電話があった。外出禁止令で暇を持て余したためだと思うが、「トルコにはもう仕事がない。日本で仕事探してくれ!」なんて言う。私は「日本だって大変ですよ」と答えてから、冗談に「今、日本で金儲けになるのは宗教でしょう。何か宗教やってみませんか?」とはぐらかした。友人はかねてより宗教が大嫌いなのである。トルコで活動しているプロテスタント系の韓国人宣教師が驚くほど多いことにも腹を立て、「連中は韓国の金を持ち出して浪費しているだけだ。全員、送還しろ!」と文句を言っていた。

しかし、この日は冗談と解っているので、「宗教は面白いかもしれないなあ」と笑っている。それから奥さんが割り込んで来て、「韓国人の宣教師は、皆、追い出されたから、今度は貴方が宣教師になってトルコへ来なさい! 日本人の宣教師ならビザが出るかもよ」などと勧める。「早く教会に行って宣教の勉強しなさい!」とか満更でもない口調で説いていたが、ひょっとすると奥さんの方はたまに教会へ行く部類だったかもしれない。

韓国人宣教師と言えば、友人の一人が「トルコでビザの更新は難しくなった」として、一昨年辺りから活動拠点を日本へ移している。『トルコで営業成績悪かったんで、配置変えになっただけじゃないの?』なんて思っていたけれど、ビザが更新出来なくなったのは彼ばかりでもないらしい。

ところで、あの日、何故、話が宗教の方へ流れてしまったのだろう? それは以前観たアメリカ映画を思い出していた所為じゃないかと思う。アメリカの片田舎の街が謎の生物に襲われ、ショッピングセンターに立て籠もった人々の闘いが始まる。「決死隊を組んで、外へ出て助けを求めるべきだ」とか「籠城を続けた方が良い」とか様々な議論が交わされる中、人々は段々疑心暗鬼に陥る。そこへ新しい宗教を説く中年女性が現れ、瞬く間に多くの信徒を獲得し、お告げにより何人かを生贄にしようとする・・・。こんなストーリーだったと記憶している。

この映画を思い出したのは、コロナ騒ぎに対する過剰な反応をSNSで見ていたからだろう。中には、宗教的な救いが必要ではないかと思えるほど怯え疲れ切っているような書き込みもある。新興宗教はそういった心の隙間に入り込んで行くのかもしれない。そして、『我々をこんな恐ろしい運命に陥れたの誰だ』と煽って生贄探しを始める。

しかし、「運が悪くて死ぬ」ではなくて、「たまたま運が良くて生きている」と考えれば、大分気持ちが楽になるような気もする。そもそも、長く続いている既存の宗教は、大概、「生かされている運の良さ」と説いているのではないだろうか? 「南無阿弥陀仏」も「ハレルヤ」も「アッラーシュクル」も要は「良き運命」に対する感謝の言葉であるように思える。