メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

私事・体験談・回想等々

トルコの官僚(輸入を阻まれたパチンコ台)

《2016年1月2日付け記事の再録》 イスタンブールに現地事務所を構えていた日本の会社で働かせてもらっていた1992年の初秋、この会社がトルコへの輸入を試みた物品が、イスタンブールの税関で止められてしまった。その物品は日本の遊戯機器、つまり…

「脱線してしまった人生」

《2014年11月2日付け記事の再録》 81年か82年頃だったと思う。 私は東京で2tトラックによる配送の仕事をしていた。その運送会社には、入れ替わり立ち替わりアルバイトの大学生が働きに来ていて、私のトラックで1日助手を務めてくれた学生もいる…

「姿を見せぬ監視員女性」

《2014年7月12日付け記事の再録》 トルコから日本へ一時帰国していた2003年の5月、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか…

30年前の選挙の不正

1989~91年、東京は東池袋のアパートに居た頃の話である。 部屋は木造2階の四畳半一間でトイレも共同だったけれど、階下には年配の管理人さん夫婦も住んでいて何かと便宜を図ってくれた。 夫婦は、某仏教系教団の信徒と思われたが、入口に関連政党の…

四海の内は皆兄弟(死生命あり、富貴天に在り)

《2014年1月4日付け記事の再録》 経済と気持ちの面で余裕のない生活を続けてきた所為か、正月に年賀状を出すのは、もう随分前に止めてしまった。それでも、一昨年(2012年)ぐらいまでは、メールで新年の挨拶などを少し送ったりしていたが、それも…

「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」

《2017年2月19日付け記事の再録》 韓国への語学留学を準備していた86年頃だったと思う。東京の池袋で、韓国映画の会が催され、産経新聞の黒田論説委員の講演と共に、「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」という作品が上映された。早めに出かけ…

神隠し?

《2007年4月15日付けの記事を修正して再録》 上記の駄文に、高校時代の思い出を一つ書いたけれど、果たして自分はあの三年間でいったい何を学ぼうとしていたのか、とんと思い出すことができない。 まずどんな本を読んでいたのかさっぱり思い出せない…

ヴィルヘルム・バックハウス最後の演奏?

《2007年4月12日付けの記事を修正して再録》 クラシック音楽で、「どの曲には誰の指揮が良い」なんていう付け焼刃の知識は、殆どが高校時代に同級生の友人から得たものである。 友人は御両親が音楽の先生であり、子供の頃からクラシック音楽に慣れ親…

文化人の無理解とクルクルパーの運転手

冬になり、コロナの陽性者がまた増加しているため、「自粛」や「三密回避」が叫ばれている。飲食店などは堪ったものじゃないと思う。特に低料金の店が大変らしい。席を詰めてたくさんのお客さんに入ってもらわないと利益が上がらない店もあるだろう。 ところ…

カラオケ・スナックで熱唱?

先週の土曜日、友人に誘われてカラオケ・スナック的な店で飲んで来た。 多分、日本でカラオケ歌いながら飲むのは30年ぶりぐらいの出来事じゃなかったかと思う。30年ほど前は、本社韓国の東京支店で働いていて、本社からの出向社員だった先輩のパクさんに…

「ジエリスタンの日本人テロリスト?」

《2015年12月13日付け記事の再録》 イスタンブールのアクサライ界隈には、ケバブの類をメインにした庶民的な店が軒を並べている。レバー(肝臓)串焼きの「ジエリスタン」はその中でもひと際目立っていた。ジエルがレバー(肝臓)の意で、ジエリスタ…

イズミルの地震/ユルマズ元首相の訃報

イズミルの地震は、今朝、トルコ人の友人がフェイスブックに投稿したメッセージで知らされた。 イズミルは、1991年に初めてトルコを訪れて1年暮らした思い出深い街である。私のトルコにおける故郷と言っても良い。とは言うものの、1999年に半年ほど…

キンシャサの奇跡

《2014年10月31日付け記事の再録(1)》 1974年の10月30日、コンゴのキンシャサで挙行されたボクシングのヘビー級タイトルマッチで、モハメド・アリがチャンピオンのジョージ・フォアマンを8回KOに降した。これを、私たちのようなファン…

「イワナミ先生&ツバキ先生」

《2013年9月30日付け記事の再録》上記の駄文で、“感涙にむせぶエロ中年男”を想像してみたけれど、当初、「感涙にむせんだ」とすべきところを、「感涙にむせった」などと書いてしまった。“むせる”じゃなくて、“むせぶ”であることは解っていたが、なんと活用が…

ハングル事始め:「我々の子供たちは我々の民族学校へ」

1985年、私は上記の産廃屋で働いていた時に韓国語の勉強を始めた。 この会社へ来る前にも、韓国・朝鮮に対しては多少の興味を持っていたけれど、それは中国やシルクロードへの憧れに付随したものに過ぎなかったような気もする。 韓国・朝鮮を初めて身近…

日本の「朝鮮高校」と韓国の「大和高校?」

1983~5年、私が上記の川越にある産廃屋で働いていた当時、川越から所沢にかけての地域には、同様の産廃や廃品回収の業者が多かったけれど、経営者の殆どは在日韓国・朝鮮人か、さもなければ被差別部落系の人たちだったのではないかと思う。 しかし、社…

産廃屋の思い出/(1)犬の災難

《2008年7月の記事を書き直して再録》 1983年、23歳になって、もう少し収入を増やそうかと思い、スポーツ紙の求人欄に出ていた「35万上確・4tダンプ」の文字に引かれ、川越にある産業廃棄物処理の会社の寮に住み込んでダンプの運転手をやるこ…

産廃屋の思い出/(7)ふざけるな?

《2008年7月の記事を書き直して再録》 前回お伝えしたスコップを手にしての積み込み作業、あれは結構しんどかった。コンクリを破砕したガラが多かったものの、残土を積まされることもあった。 大概の場合、荷台の後ろと片側だけに高さ1mぐらいのベニ…

華僑友人の自死

2002年に米国で亡くなった華僑の友人には、1983年頃、高校同期の友人が引き合わせてくれた。当時、私たちは23歳、華僑の友人は3つほど年長だったと思う。しかし、私にとって友人付き合いと言えるようなものは、韓国への語学留学から帰国した19…

目標は60~61㎏!

福岡にいた昨年の今頃、体重は63~4㎏を推移していた。9月に現在の高砂市へ越してから、糖質制限を再開したことで61~2㎏ぐらいまでになり、風呂上りに計ると60㎏を下回ったりしたが、冬の到来と共にまた体重は増え始めていた。 山を歩いたりジョギ…

病院たらいまわし!

先月、勤務先で義務付けられている健康診断を受けたところ、診断結果の「腫瘍マーカー」という欄に「再診が必要」という印があり、再診結果を会社に報告しなければならなくなった。 そのため、診断を受けた病院に赴いて、受付で診断結果を見せて相談すると、…

高校の寮の衛生状況

コロナウイルス対策として政府が勧めた休校処置が話題になっている。学校の寮が閉鎖され、生徒が帰宅している例もあるそうだ。 40数年前、私が全寮制の高校に在籍していた頃、感染症の拡大が騒ぎになり、当局者があの寮を視察していたらどうなっていたか?…

「非常事態宣言下の旅」

《2014年10月14日掲載記事の再録》 クズルック村にいた頃(1999~2003)、近所に高圧電線敷設の技術を持った男がいて、時々、長期間泊り込みで地方へ出かけては、敷設作業に携わっているようだった。いつだったか、その男が南東部ディヤルバクル周辺…

駐車場の黒いヤギ

1994年の9月、3年ほど暮らしたトルコから日本へ帰って来ると、とりあえず川崎の産廃屋でダンプの運転手として働き始めた。この会社は経営者も従業員もその殆どが沖縄の人で、寮の周辺にも沖縄料理屋が多かった。 多分、1~2日先輩のダンプに同乗して…

1999年8月-トルコ北西部大地震の追憶

1月17日、阪神大震災から25年が過ぎた。そして、一昨日(24日)は、トルコの東部エラズー県で大きな地震があったという。多くの方が亡くなり甚大な被害に見舞われているようだ。 トルコの東部では、2011年10月にもワン県を中心に大地震が起きて…

全寮制の我が母校

鹿児島では、ラサール高校の様子も見に行って、それを写真に収めて来た。私の母校は、全寮制の高校だったので、やはり寮のある進学校として有名なラサール高校には、高校生の当時から非常な関心があったのだ。当時は、ラサール高校も全寮制であると思い込ん…

韓国からトルコへ

フィギアスケートのザギトワ選手は、競技活動の停止を発表しながら、「(人生は)常に何か満たされないものがあるべきだ。スタートの状態に戻りたい」と語ったそうだ。全てやり遂げてしまった達成感が、このような心境に至らせたという。 ザギトワ選手に限ら…

糖質制限ダイエット?

この高砂市に来てから、また糖質制限を始めた。といっても少し緩めの制限だが、以来、1ヶ月の間に4キロぐらい落ちて、久しぶりに60キロを下回っている。 糖質制限は、外食の場合、トルコの方がやり易かったと思う。パンやライスさえ食べなければ、料理に…

姫路城

申し遅れましたが、8月末で福岡の職場を辞めて、兵庫県の高砂市に引っ越しました。姫路の直ぐ近くです。 高校時代の友人がここで警備員の仕事を斡旋してくれたので、有難く応えることにしました。 就学生らの話が聞けなくなるのは寂しいけれど、大阪にも1…

メルハバ通信

このブログは、2004年から今年の5月まで続けて来た「メルハバ通信」というホームページの「トルコ便り」を引き継いで始められた。 ホームページの中で『メルハバ通信』として掲載された駄文の多くは、もともと2001年頃から2003年にかけて、数人…