メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

私事・体験談・回想等々

ワクチン接種とパソコン購入

当初は「4月1日」に予定されていた二回目のワクチン接種、前々日になってから延期されてしまったため、「こりゃ、ワクチンも嘘になってしまうかな?」と思っていたけれど、接種は一昨日の4月9日に実施され、今のところ、これといった反応も起きていない。 …

「イズミルの冬の思い出」

《2007年2月10日付け記事を省略修正して再録》 1991年に初めてトルコへやってきて、温暖なエーゲ海地方のイズミルで一年を過ごしたけれど、冬は結構寒かった。温暖なイズミルでは、冬の備えが甘く、寝起きしていた学生寮の暖房も粗末なものだった…

落語の「粗忽長屋」

昨年の12月から先月まで4ヶ月の間、毎月、31の記事をこのブログに掲載した。 過去の記事を引っ張り出して「再録」で済ませた例も少なくないが、休みの日に2~3の下書きを用意したりして結構苦労した。 これに大した意味はない。そのぐらいプレッシャ…

「アレム・ダー(山)の野良犬たち」

《2014年9月18日付け記事の再録》 月曜日(2014年9月15日)は、我が家の近くのタシュデレンから、アレム・ダー(山)の山麓を歩き、ポロネーズ・キョイ(村)まで行ってみようと思って出発した。果たして、その道がポロネーズ・キョイ(村)へ…

2011年の3月

10年前の3月、イスタンブールに住んでいた私は、8日から13日にかけて、ヤロバ、アンカラ、イズミルを仕事で回っていた。 ヤロバからアンカラの道程は大雪の中、8時間も掛かり、翌9日もアンカラでは雪が降り続いて所々交通がマヒしたため、「これは大…

ドウバヤズィット/イサクパシャ宮殿

《2009年10月9日付け記事を再録》 「何だもう下りて来たのか、もっとゆっくりしてくれば良いのに」。2時間ほど前に、イサクパシャ宮殿の遺跡まで送ってくれたタクシーの運転手が親しげに声をかけてきた。1994年の6月、私は、トルコも東の果て、…

「凄い爺さん?」

《2017年3月4日付けの記事を再録》 1983年、上記の産廃屋にいた頃、寮の部屋で、私より15~17歳年長の先輩二人、青森県出身のヤマさんと岩手県出身のサトウさん、そして、私より3歳ほど年下で暴走族あがりという20歳の青年エンドウ君と無駄…

沖縄人と大和人?(川崎の産廃屋でダンプの運転手)

《2003年4月1日付け記事の再録》 94年の9月、トルコから帰国すると、とりあえず川崎市にある産廃屋でダンプの運転手として働き始めた。 この会社を選んだことに特別な理由があったわけではない。「住み込み歓迎」と書いてあるのが目に留まったのと…

福建からイズミルへ、そして東京へ。

《2008年1月30日付け記事を修正して再録》 1991年にイズミルのエーゲ大学のトルコ語教室で学び始めた頃、ここで知り合った日本人の友人から、陳さんという中国の人の話を聞いた。 福建省出身の陳さんは、学生ビザでトルコに来て、その後、福建か…

君子危うきに近寄らず/トルコの女性たちは恐ろしい?

《2012年8月19日付け記事を修正して再録》 2012年8月、イスタンブールのアジア側にも地下鉄が開通した。カドゥキョイ~カルタルまで約30分の路線で、8月19日から始まったラマダン明けの祝祭中は無料運行になるという。 私はこの日、ギョズ…

「日本と韓国を繋ぐ橋」

《2016年1月31日付け記事の再録》 大阪に住んでいた“1996~8年”、韓国居留民団の某支部事務所へ度々立ち寄っては、役員のHさんから色んな話を伺った。この支部事務所を最初に訪れたのは、どういう経緯だったのか、ちょっと覚えていない。何か問…

人生百年時代と言うけれど・・・

鹿児島の施設にいる母は認知症が進んで意思の疎通さえかなわなくなったという。昨年の3月に施設を訪れた時も、既に歩行が出来ない状態で、会話するのはかなり難しくなっていた。その後はコロナのために面会不可となり、以来、母には会っていない。このまま…

先生の訃報

《2015年12月31日付け記事を省略して再録》 1991年に、イズミルでトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。先生は、私の少々ずれた話もお聞きになり、「貴方の観察は面白い。トルコに…

赤坂のヤクザの親分

《2010年7月31日付け記事を修正して再録》 1999年、イズミル在住の韓国人の友人チェさんと日本へ行った時の話である。 当時、在トルコ5年で、1960年生まれの私より3歳ほど年長だったチェさんは、中古の日本製現像機を韓国から取り寄せてト…

「生きる」

黒澤明監督の映画「生きる」の冒頭では、30年間役所に勤め続けながら、ただ漫然と時間をやり過ごして来た主人公が「彼は生きているとは言えない・・・死骸も同然だ」と紹介されている。 映画は、この主人公が「胃癌で余命数ヶ月」と知ってから、最後に何か…

「観光ホテルの思い出」(労働基準法と組合)

《2014年10月10日付け記事の再録》 1979~80年に8ヵ月間住み込みでアルバイトした温泉街の観光ホテルは、副社長と専務という肩書きの兄妹である方たちが経営に当たっていた。 妹の専務さんは、いつも和服を着こなしていて、いかにも“旅館の女…

「ヤクザ稼業と夜逃げ」

《2009年12月25日付け記事を修正して再録》 1980年、20歳の私は東京北区の小さな運送会社で働き始めた。 その運送会社は大企業〇〇〇印刷の専属で、私は〇〇〇印刷の各工場間を走るライトバン便の運転手だった。ライトバン便は主に本社工場と…

「ゴキブリにしては大きい?」

《2009年12月11日付け記事を修正して再録》 1980~3年にかけて飯田橋の近く(文京水道)でアパートを借りて住んでいた頃の話である。 アパートは路地裏の古い木造二階建てで、私の部屋は一階の玄関を入った直ぐのところだった。その古い建物は…

トルコの官僚(輸入を阻まれたパチンコ台)

《2016年1月2日付け記事の再録》 イスタンブールに現地事務所を構えていた日本の会社で働かせてもらっていた1992年の初秋、この会社がトルコへの輸入を試みた物品が、イスタンブールの税関で止められてしまった。その物品は日本の遊戯機器、つまり…

「脱線してしまった人生」

《2014年11月2日付け記事の再録》 81年か82年頃だったと思う。 私は東京で2tトラックによる配送の仕事をしていた。その運送会社には、入れ替わり立ち替わりアルバイトの大学生が働きに来ていて、私のトラックで1日助手を務めてくれた学生もいる…

「姿を見せぬ監視員女性」

《2014年7月12日付け記事の再録》 トルコから日本へ一時帰国していた2003年の5月、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか…

30年前の選挙の不正

1989~91年、東京は東池袋のアパートに居た頃の話である。 部屋は木造2階の四畳半一間でトイレも共同だったけれど、階下には年配の管理人さん夫婦も住んでいて何かと便宜を図ってくれた。 夫婦は、某仏教系教団の信徒と思われたが、入口に関連政党の…

四海の内は皆兄弟(死生命あり、富貴天に在り)

《2014年1月4日付け記事の再録》 経済と気持ちの面で余裕のない生活を続けてきた所為か、正月に年賀状を出すのは、もう随分前に止めてしまった。それでも、一昨年(2012年)ぐらいまでは、メールで新年の挨拶などを少し送ったりしていたが、それも…

「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」

《2017年2月19日付け記事の再録》 韓国への語学留学を準備していた86年頃だったと思う。東京の池袋で、韓国映画の会が催され、産経新聞の黒田論説委員の講演と共に、「ムルレア・ムルレア(糸車よ、糸車よ)」という作品が上映された。早めに出かけ…

神隠し?

《2007年4月15日付けの記事を修正して再録》 上記の駄文に、高校時代の思い出を一つ書いたけれど、果たして自分はあの三年間でいったい何を学ぼうとしていたのか、とんと思い出すことができない。 まずどんな本を読んでいたのかさっぱり思い出せない…

ヴィルヘルム・バックハウス最後の演奏?

《2007年4月12日付けの記事を修正して再録》 クラシック音楽で、「どの曲には誰の指揮が良い」なんていう付け焼刃の知識は、殆どが高校時代に同級生の友人から得たものである。 友人は御両親が音楽の先生であり、子供の頃からクラシック音楽に慣れ親…

文化人の無理解とクルクルパーの運転手

冬になり、コロナの陽性者がまた増加しているため、「自粛」や「三密回避」が叫ばれている。飲食店などは堪ったものじゃないと思う。特に低料金の店が大変らしい。席を詰めてたくさんのお客さんに入ってもらわないと利益が上がらない店もあるだろう。 ところ…

カラオケ・スナックで熱唱?

先週の土曜日、友人に誘われてカラオケ・スナック的な店で飲んで来た。 多分、日本でカラオケ歌いながら飲むのは30年ぶりぐらいの出来事じゃなかったかと思う。30年ほど前は、本社韓国の東京支店で働いていて、本社からの出向社員だった先輩のパクさんに…

「ジエリスタンの日本人テロリスト?」

《2015年12月13日付け記事の再録》 イスタンブールのアクサライ界隈には、ケバブの類をメインにした庶民的な店が軒を並べている。レバー(肝臓)串焼きの「ジエリスタン」はその中でもひと際目立っていた。ジエルがレバー(肝臓)の意で、ジエリスタ…

イズミルの地震/ユルマズ元首相の訃報

イズミルの地震は、今朝、トルコ人の友人がフェイスブックに投稿したメッセージで知らされた。 イズミルは、1991年に初めてトルコを訪れて1年暮らした思い出深い街である。私のトルコにおける故郷と言っても良い。とは言うものの、1999年に半年ほど…