昨日、「西宮と難波、どちらの居心地が良い?」という記事をブログに掲載するため、記事作成のページを開いたところ、1月30日に掲載した記事が未だ残っていた。
通常、記事を掲載公開すると同時に作成ページは閉じられ、次の記事を作成・掲載するため、新たに開くと白紙の状態に戻っている。
しかし、以前にも前の記事がそのまま残っていたことがあったから、昨日も全く気にせず、その「デカトロンの腹筋台/カルフール」という記事を消去して、新しい記事「西宮と難波、どちらの居心地が良い?」を作成、ブログに掲載した。
ところが、どういう手違いなのか、それは1月30日付けの記事として掲載され、その代わり「デカトロンの腹筋台/カルフール」が消滅していたのだ。
余りのことに「なんだこりゃー!」などと叫び声を上げてしまったが、泣いても喚いても記事は復元しない。仕方なく、「デカトロンの腹筋台/カルフール」をもう一度書いて掲載した。
書いたばかりの記事であればともかく、既に2日経っていたので、短い文でも一字一句間違いなく思い出すことなど到底無理である。そのため、2日前の文とは多少異なっている。
かつて、「メルハバ通信」のホームページに、トルコの新聞記事の拙訳を掲載していた頃、かなり長い記事を訳し終わった直後に、手違いで消去してしまったこともあったけれど、当時は、あれが「一銭にもならない仕事」のようになっていたから、暫し頭を抱えて唸ったぐらいで、慌てず騒がず、もう一度訳し直した。
まあ、あの時は、直ぐに取り掛かることが出来たし、翻訳した文章は、トルコ語の原文を見れば、割と楽に思い出せるので、それほどの苦労もなかった。
昨日のように、短い文を手違いで消去して、直ぐに書き直したことは何度もある。そういう事態に至ると、いつも与謝野晶子の話を思い出して、気を落ち着かせることにしていた。
与謝野晶子は、10年かけて8割方仕上げていた「源氏物語」の現代語訳を関東大震災で焼失させてしまったそうである。それでも再び筆を取って書き直したというから凄い。偉い人は何処まで偉いのかと溜息が出てしまう。私なら気が変になってしまっただろう。
*ブログの記事作成ページ。通常はこのように白紙の状態で開かれます。