88年、韓国に語学留学していた頃、学部留学していた先輩が、学部の教授から聞いた話を伝えてくれた。
その韓国人教授によれば、当時、日本で経済等の危機的な状況が盛んに論じられていたのは何とも不可解だったらしい。
「日本の人たちは、何かにつけて、自国が経済等の問題で崖っぷちに立たされているかのように言うけれど、現実的に考えれば、崖は遥か向こうにあって、落ちる心配など全くない。
ところが、韓国は常に崖っぷちに立たされていて、いつ転がり落ちても不思議ではない。それこそ、崖の下を見たりしたら、恐ろしくて歩けなくなってしまう。だから、崖の方を見ないで真っすぐ歩き続けるしかないのだ・・・」
凡そこんな話だったが、伝えてくれた先輩も私も、『向こう見ずな韓国人』に納得して笑っていた。
しかし、あれから30年以上過ぎた今、崖っぷちに立たされているのは、日本の方であるような気がして、恐ろしくなる。とても笑いごととは思えなくなった。
そのためか、「危機的な状況」も、かつてほど論じられなくなっているのではないだろうか? 崖の下を見たら足がすくんでしまうため、見ないように努めて真っすぐ歩こうとしているのかもしれない。まさしく『向こう見ずな日本人』の誕生である。
一方、少子化の問題では、韓国もその他の国々も、皆、同様の状態へ陥っているように思われてならない。
解決策などないと承知しているので、深く論じるのは避けて、『なんとかなるでしょう~♪』的な気分に浸ろうとしているのではないか。
さもなければ、「深刻な状況へ陥るのは自分たちが死んだ後のことだろう」と思って、『あとは野となれ山となれ~♪』といった気分であるかもしれない。
これで良いのだろうか?