メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

儒教文明の社会?/「正直者の直躬」

大坂にいた1997年頃、島之内の韓国街にあるビデオ屋さんで借りて来て観た韓国の連続ドラマだったと思う。

金持ちの家で住み込みの運転手として働く男の娘が、その美貌と才能で立身を遂げて行くというストーリーではなかったかと記憶している。

初回の場面が非常に印象的で、そこだけは鮮明に思い出せる。

まだ小学生ぐらいの娘がピアノコンクールに出場し、待合室で待機していると、そこへ父親である運転手の男が現れ、娘ではなくライバルの少女に「煙草を買ってきなさい」と命じる。少女が「次は私の番ですから行けません」と答えると、男は「大人に逆らうのか!」と怒鳴りつけ、少女の精神状態を搔き乱してしまう。

結局、集中力を失った少女は演奏に失敗して、運転手の娘が入賞する。帰りの車中、父親の行為を快く思わない娘が憮然としていると、運転手は「あの子の親だって入賞させるために金を使ったり色々しているんだ。お父さんはお金がないからそんなことは出来ないけれど、お前のためだったら何でもしてやれる」と言って娘を慰めるのである。

私はこの場面を観て『なんて悪辣な奴だ』と思った。しかし、ドラマのその後の展開で、男は「娘を心から愛する熱血漢」として描かれている。どうやら、初回の場面には「男の娘を想う気持ち」を際立たせる狙いがあったようだ。

当時、韓国について充分知っているつもりだった私は、これに衝撃を受けてしまった。

また、その1997年の韓国大統領選挙では、与党候補の李会昌氏が子息の兵役を不正に回避させていたことが発覚して、大きな話題になっていた。ところが、当時、大阪でお世話になっていた韓国人の老先生に伺うと、先生は「親が子を想うのは当たり前でしょう」と事も無げに仰ったのである。

論語に「正直者の直躬」という話があった。父親の盗みを証言した子の正直さを称えた人に対して、孔子は「吾党の直き者は、これに異なり。父は子の為に隠し、 子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り」と論じたという。

ひょっとして、儒教文明国の韓国では、この教えが当時もそのまま通用していたのだろうか? いずれにせよ、日本の常識で韓国を推し量ろうとするのは大きな間違いだと気付かされた。

あれから20年以上が過ぎ、韓国の社会にも相当な変化はあったと思う。しかし、昨今の法務相を取り巻く事件の報道を見ていると根本的なところは余り変わっていないような気がする。

中国のことは良く解らないが、それこそ儒教文明の大もとであった中国にも似たようなところはあるかもしれない。西欧では、イタリアの情実的な社会が取り沙汰されて「ラテン気質」などと論われてもいるようだ。韓国を「東洋のラテン」と呼ぶ人もいる。

しかし、イタリアのような国が「覇権国」となる未来を想像できるだろうか? 

現在の覇権国アメリカも「公正な国である」とはとても言い難い。それどころか、あれほど悪辣な国家も珍しいように思えるけれど、まさか「ある個人の親子の情愛」で社会が動かさられることはないはずだ。

アメリカの法治主義も何だか怪しくなって来たものの、何処かで法的な歯止めがかかるのではないかという期待は持てる。

韓国や中国に同様のことが期待できるかどうか良く考えて見なければならなくなって来たかもしれない。