メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

断食明けの夕食“イフタル”

先週の金曜日は、友人の計らいで、彼と一緒に断食明けの夕食“イフタル”に招待されました。55歳になる友人は、子供の頃からコーランの学校に通い、導師養成高校を経てアンカラ大学で宗教学を修め、今年の6月で定年を迎えるまで、長年に亘って宗教科の先生を務めてきた敬虔なムスリムであり、この日は元同僚の先生から“イフタル”に招かれていたのです。

元同僚の女性は、理科の先生だそうで、歳も友人と同じぐらいではないでしょうか。断食明けのイフタルには、娘さんとお婿さんを始め、親族の方々が5人ほど見えていたけれど、いずれもモダンな雰囲気の人たちで、女性の服装も半袖やノースリーブだったりして、余り“敬虔”なムスリムには見えませんでした。食事中に交わされる会話を聞いても、殆ど宗教色は感じられなかったように思います。おそらく、この日も断食を全員が実践していたわけじゃないでしょう。

しかし、食事の後、友人がコーランの読誦を捧げる段になったら、女性たちは頭にスカーフを被ってショールを羽織り、皆、掌を上に向けて祈りの姿勢をとるので、にわかにイスラム教徒らしくなってきました。女性たちはスカーフと下の服装がちょっとアンバランスであるように思えたけれど・・・。

友人は、「コーランを少し読ませてもらいます」と言い、ソファーから降りて床に正座して読誦を始めたので、隣に座っていた私も同様に正座して拝聴することにしました。少しと言うから、3分ぐらいで終るだろうと思っていたのです。

ところが、読誦は延々と10分ぐらい続き、それから長い祈りの言葉が捧げられ、全て終了するまで15分以上掛かったのではないでしょうか。私の足の痺れは限界に達していました。読誦中の友人を見たら、一応、前にアラビア語で記されたコーランを広げているものの、間違いがないように読む箇所を確認している程度で、殆ど暗唱していたのではないかと思います。足の痺れも堪えたくなる素晴らしい読誦でした。

それから友人は、宗教や信仰について所感を述べていたけれど、トルコにおける政教分離の重要性を強調していたのが印象に残りました。イスラムは西欧から危険な宗教であると誤解されているが、アフガニスタンイラクの事態を見れば誤解されてもしょうがない。トルコが、こういった国々のように成らない為には、政教分離を何としても守らなければならないと強調していたのです。

 

*友人によるコーランの読誦時間を20分ぐらいと記しましたが、これは少し大袈裟だったかもしれません。10分ぐらいに訂正しました。

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